
『中央海軍ポータル(フロートコム)』より。
【大型対潜艦ヴィツェ-アドミラル・クラーコフはアデン湾で最初の船団の先導を始めた】
2012年5月15日
5月15日、北方艦隊の大型対潜艦「ヴィツェ-アドミラル・クラーコフ」は、アデン湾における民間船保護任務の遂行を開始し、最初の船団の先導を始めた。
船団は、紅海南部の指定箇所で形成された。
それは、マーシャル諸島、パナマ、トルコ船籍の4隻の商船が含まれている。
大型対潜艦「ヴィツェ-アドミラル・クラーコフ」乗組員は、紅海を通過し、アデン湾のアラビア海西方海域の指定箇所まで外国船に随伴する。
移動は金曜日に完了する予定である。
その後、ロシア戦闘艦は、反対方向へ向かう次の船団の護送を開始する計画である。
北方艦隊の大型対潜艦「ヴィツェ-アドミラル・クラーコフ」は、 4月6日に北方艦隊主要基地セヴェロモルスクを出発した。
これまでに、同艦は約6000海里を航行した。
4月、大型対潜艦「ヴィツェ-アドミラル・クラーコフ」は、スーダ港(ギリシャ)への業務寄港を終えた。
同艦の士官及び海軍歩兵グループは、国際海賊対処行動の為の海洋特殊操作訓練センターを訪問するユニークな機会を得た。
北方艦隊将兵は、外国の同僚と海賊対処行動に関する経験を交換し、実地訓練を行なった。
4月29日、地中海エリアでロシア海軍艦艇支隊が形成され、大型対潜艦「ヴィツェ-アドミラル・クラーコフ」は、スエズ運河を通過して紅海へ出た。
西方軍管区・北方艦隊広報サービスは発表した。

北方艦隊所属の大型対潜艦「ヴィツェ-アドミラル・クラーコフ」は、4月6日にセヴェロモルスクを出港しました。
[北方艦隊の大型対潜艦ヴィツェ-アドミラル・クラコフはアデン湾へ向かった]
4月16日、「ヴィツェ-アドミラル・クラーコフ」はジブラルタル海峡を通過し、その後、スペインのセウタに寄港しました。
[大型対潜艦ヴィツェ-アドミラル・クラコフはジブラルタル海峡を通過した]
4月下旬にはギリシャのクレタ島北西部スーダ港を訪れました。
[大型対潜艦ヴィツェ-アドミラル・クラコフはクレタ島を訪問した]
4月29日、地中海東部で黒海艦隊の給油船「イワン・ブブノフ」及び海洋曳船MB-304と合流しました。
[ロシア海軍海賊対処部隊は地中海で合流した]
5月初頭、サウジアラビアのジェッダを訪問しました。
[大型対潜艦ヴィツェ-アドミラル・クラーコフ、サウジアラビア訪問]
『中央海軍ポータル(フロートコム)』より。
【工場「ヤンターリ」はロシア海軍の為の揚陸艦「イワン・グレン」の建造に50億ルーブルを費やした】
2012年5月14日
ロシア海軍の為に株式会社「沿バルト造船工場ヤンターリ」で建造されているプロジェクト11711大型揚陸艦「イワン・グレン」の費用は50億ルーブルに達する。
『ロシア・ビジネスコンサルティング』は、カリーニングラード地域議会の広報サービスの発表を引用して報じた。
同艦の進水は5月18日に予定されている。
(カリーニングラード)地域議会の広報サービスによると、フランス及びロシアで建造される揚陸ドック艦「ミストラル」型と、大型揚陸艦「イワン・グレン」は、(ロシア)海軍の揚陸部隊の中核を成す。
大型揚陸艦「イワン・グレン」は、2004年12月に株式会社「沿バルト造船工場ヤンターリ」の造船台で起工され、4隻のシリーズ艦のトップとして計画された。
海軍の建造過程は3度に渡り変更され、プロジェクトの機器作業は、22回に渡る大幅な変更が行なわれた。
その結果、建造は大幅に遅延した。
現在までに、艦の最終機器構成は定まっていない。
最初のシリーズ艦の起工計画はキャンセルされた。
同艦は、軍用車両及び兵器機器を輸送し、揚陸させる為に設計されている。
「イワン・グレン」は、重量60トンまでの主力戦車は最大13輌まで、装甲兵員輸送車及び歩兵戦闘車の場合は36輌まで、或いは、最大で300名の揚陸海軍歩兵部隊を輸送できる。
[新型揚陸艦イワン・グレンは5月末に進水する]
今回の記事は、あくまでも「現在までに」50億ルーブルの費用が掛かったと言っているのであり、今後に進水し、艤装する為には、更なる費用が掛かるという事です。
大型揚陸艦「イワン・グレン」は、2004年12月24日に「ヤンターリ」造船工場で起工されました。

しかし、記事中に書かれている理由により、建造は大幅に遅延しました。
最初の同型艦が2010年10月に起工されると報じられましたが。記事中にある通り、キャンセルされました。
以前、ロシア連邦の「2011-2020年の国家兵器プログラム」において、プロジェクト11711大型揚陸艦は6隻調達されると報じられました。
[2011-2020年のロシア兵器プログラムにおけるロシア海軍の艦艇調達数]
しかし、それが実現すると信じる者は、ロシアにおいては少数派です。
現状を見る限り、プロジェクト11771大型揚陸艦は、「イワン・グレン」1隻だけで終わる可能性も否定できません。
【工場「ヤンターリ」はロシア海軍の為の揚陸艦「イワン・グレン」の建造に50億ルーブルを費やした】
2012年5月14日
ロシア海軍の為に株式会社「沿バルト造船工場ヤンターリ」で建造されているプロジェクト11711大型揚陸艦「イワン・グレン」の費用は50億ルーブルに達する。
『ロシア・ビジネスコンサルティング』は、カリーニングラード地域議会の広報サービスの発表を引用して報じた。
同艦の進水は5月18日に予定されている。
(カリーニングラード)地域議会の広報サービスによると、フランス及びロシアで建造される揚陸ドック艦「ミストラル」型と、大型揚陸艦「イワン・グレン」は、(ロシア)海軍の揚陸部隊の中核を成す。
大型揚陸艦「イワン・グレン」は、2004年12月に株式会社「沿バルト造船工場ヤンターリ」の造船台で起工され、4隻のシリーズ艦のトップとして計画された。
海軍の建造過程は3度に渡り変更され、プロジェクトの機器作業は、22回に渡る大幅な変更が行なわれた。
その結果、建造は大幅に遅延した。
現在までに、艦の最終機器構成は定まっていない。
最初のシリーズ艦の起工計画はキャンセルされた。
同艦は、軍用車両及び兵器機器を輸送し、揚陸させる為に設計されている。
「イワン・グレン」は、重量60トンまでの主力戦車は最大13輌まで、装甲兵員輸送車及び歩兵戦闘車の場合は36輌まで、或いは、最大で300名の揚陸海軍歩兵部隊を輸送できる。
[新型揚陸艦イワン・グレンは5月末に進水する]
今回の記事は、あくまでも「現在までに」50億ルーブルの費用が掛かったと言っているのであり、今後に進水し、艤装する為には、更なる費用が掛かるという事です。
大型揚陸艦「イワン・グレン」は、2004年12月24日に「ヤンターリ」造船工場で起工されました。

しかし、記事中に書かれている理由により、建造は大幅に遅延しました。
最初の同型艦が2010年10月に起工されると報じられましたが。記事中にある通り、キャンセルされました。
以前、ロシア連邦の「2011-2020年の国家兵器プログラム」において、プロジェクト11711大型揚陸艦は6隻調達されると報じられました。
[2011-2020年のロシア兵器プログラムにおけるロシア海軍の艦艇調達数]
しかし、それが実現すると信じる者は、ロシアにおいては少数派です。
現状を見る限り、プロジェクト11771大型揚陸艦は、「イワン・グレン」1隻だけで終わる可能性も否定できません。

『中央海軍ポータル(フロートコム)』より。
【黒海艦隊は2014年に新たな艦を補充する】
2012年5月14日
2014年、黒海艦隊の最初の新造艦の受領が期待される。
ロシア黒海艦隊司令官アレクサンドル・フェドテンコフ少将は語った。
セヴァストーポリで行なわれた黒海艦隊創設229周年記念行事におけるエカチェリーナ2世記念碑への献花式でフェドテンコフは述べた。
「新たな艦が建造されています。カリーニングラードの造船工場"ヤンターリ"では、警備艦シリーズが起工されており、
サンクト-ペテルブルクのアドミラルティ協会"アドミラルティ造船所"では、潜水艦シリーズが起工されています」
少将によると、建造は予定表通りに進んでいる。
「我々は期待しております。2014年、黒海艦隊へ最初の艦が到着する事を」
司令官は語った。
フェドテンコフは説明した。
「予定表によれば、建造の最終段階である戦闘単位の訓練において、黒海艦隊の乗組員が形成されます。
彼らは工場へ行き、企業から艦を受領します」
「造船工場ヤンターリで起工された警備艦シリーズ」は、プロジェクト11356Mフリゲートを指しています。
現在までに3隻が起工され、更に3隻が起工される予定です。
これらは全て黒海艦隊へ配備されます。
[プロジェクト11356M(改タルワー級)フリゲート]
[改タルワー級フリゲート「アドミラル・グリゴロヴィッチ」は2014年に就役する]
[改タルワー級フリゲート「アドミラル・マカロフ」起工]
警備艦「アドミラル・グリゴロヴィチ」起工板

「アドミラルティ造船所で起工された潜水艦シリーズ」は、プロジェクト06363潜水艦を指しています。
現在までに2隻が起工され、更に4隻が起工される予定です。
こちらも、全て黒海艦隊へ配備されます。
[プロジェクト06363(改キロ級)潜水艦]
[改キロ級潜水艦「ロストフ・ナ・ドヌー」起工]
B-261「ノヴォロシースク」起工板

大型ディーゼル電気推進魚雷ロケット潜水艦B-261「ノヴォロシースク」プロジェクト06363と書かれています。
B-237「ロストフ-ナ-ドヌー」起工板

大型ディーゼル電気推進魚雷ロケット潜水艦B-237「ロストフ-ナ-ドヌー」プロジェクト06363と書かれています。
つまり、この両タイプの1番艦、警備艦「アドミラル・グリゴロヴィチ」と潜水艦「ノヴォロシースク」が2014年に黒海艦隊へ配備されるという事です。
プロジェクト956「ソブレメンヌイ」型駆逐艦「ボエヴォイ」
[ソブレメンヌイ級6番艦ボエヴォイ]
1982年3月26日に起工、1984年8月4日に進水、1986年9月28日に当時のソ連海軍へ納入されました。
同年11月5日、赤旗太平洋艦隊へ編入され、極東へ回航されました。
1987年8月27日から10月25日までペルシャ湾で船舶護衛任務に就きました。
1990年7月31日から8月4日までアメリカのサンディエゴを訪問しました。
1992年10月15日から1993年8月30日までウラジオストクで修理。
1994年10月から12月までドック入り。
1995年9月1日には第2次世界大戦の戦勝50周年記念観艦式に参加。
1996年8月には同型艦「ベズボヤズネンヌイ」と共に海軍総司令官から表彰を受けました。
しかし、当時のロシア海軍の極度の財政難により、蒸気タービン機関のボイラーの部品を交換する為の資金が供給されなかった為、1998年に予備役編入されました。
以後、フォーキノ(ストレロク基地)へ回航され、同地に係留されたまま現在に至っています。
2006年10月15日には、就役20周年を祝う式典が開催されました。
[ソブレメンヌイ級駆逐艦ボエヴォイ近影]
2011年7月の「ボエヴォイ」

2011年8月の「ボエヴォイ」

2011年12月の「ボエヴォイ」

放置状態のようです・・・・
[ソブレメンヌイ級6番艦ボエヴォイ]
1982年3月26日に起工、1984年8月4日に進水、1986年9月28日に当時のソ連海軍へ納入されました。
同年11月5日、赤旗太平洋艦隊へ編入され、極東へ回航されました。
1987年8月27日から10月25日までペルシャ湾で船舶護衛任務に就きました。
1990年7月31日から8月4日までアメリカのサンディエゴを訪問しました。
1992年10月15日から1993年8月30日までウラジオストクで修理。
1994年10月から12月までドック入り。
1995年9月1日には第2次世界大戦の戦勝50周年記念観艦式に参加。
1996年8月には同型艦「ベズボヤズネンヌイ」と共に海軍総司令官から表彰を受けました。
しかし、当時のロシア海軍の極度の財政難により、蒸気タービン機関のボイラーの部品を交換する為の資金が供給されなかった為、1998年に予備役編入されました。
以後、フォーキノ(ストレロク基地)へ回航され、同地に係留されたまま現在に至っています。
2006年10月15日には、就役20周年を祝う式典が開催されました。
[ソブレメンヌイ級駆逐艦ボエヴォイ近影]
2011年7月の「ボエヴォイ」

2011年8月の「ボエヴォイ」

2011年12月の「ボエヴォイ」

放置状態のようです・・・・
5月6日、バルト艦隊司令官ヴィクトル・チルコフ中将は、ウラジーミル・ヴィソツキー大将に代わる新たなロシア連邦海軍総司令官に任命されました。
[ヴィクトル・チルコフは新たなロシア海軍総司令官に任命された]

ウラジーミル・ヴィソツキー提督が海軍総司令官の任を解かれたのは、ロシア海軍総司令部のサンクト-ペテルブルク移転を実行に移そうとしなかった為でした。
『ロシア通信社ノーボスチ』より。
【海軍総司令官辞任の理由はサンクト-ペテルブルクへの司令部移転停滞であった】
モスクワ、5月12日-ロシア通信社ノーボスチ
ウラジミール・ヴィソツキー大将がロシア連邦海軍総司令官のポストを辞任した理由は、モスクワからサンクト-ペテルブルクへの海軍総司令部移転の必要性に関する参謀本部及び国防省の指示を無視した為である。
土曜日、参謀本部の高位の代理人はロシア通信社ノーボスチに伝えた。
ヴィソツキーは、5月6日の大統領令により任を解かれたが、軍務には留まった。
「ヴィソツキーは、サンクト-ペテルブルクへの移転を実施しておりません。これが辞任の主な理由です」
代理人は述べた。
同時に彼は、この問題に関するヴィソツキーの確固たるスタンスの維持は尊敬に値する事を強調したが、新たな海軍総司令官は、サンクト-ペテルブルクへの総司令部移転に関しては同じ見解を保持する。
同じ5月6日の大統領令では、新たなロシア海軍総司令官にヴィクトル・チルコフ中将が任命された。
土曜日、国防省の情報提供者は、モスクワからサンクト-ペテルブルクへのロシア連邦海軍総司令部の移転費用は、専門家の試算によると2008年当時の物価で400〜500億ルーブルになるとロシア通信社ノーボスチに伝えた。
「確かに、機器だけではなく100名の士官や提督も移動させ、北方首都エリアへの防御された指揮所の建設も考慮に入れて算定しております」
代理人は、2008年に海軍総司令部では約1000名が勤務していた事を想起した。
彼は、総司令部移転に関する参謀本部の指示をヴィソツキーが根本的に実施できなかった事を強調した。
「しかし、彼は移転の文書に対し、急がず、よく検討し、基盤を準備する事を主張し、海軍本部の建物だけではなく、美観の修復とロシア連邦海軍総司令部の看板に拘っていました」
代理人は述べた。
それは管理システムを作成し、士官及び提督の定住に関する社会問題を解決し、海軍の管理の基本原理を維持する為にも必要だったと彼は付け加えた。
参謀本部および国防省の主導による海軍総司令部のモスクワからサンクト-ペテルブルクへの移転構想は2007年に出てきた。
それは、クズネツォフ記念海軍アカデミー、設計局「ルビーン」および「マラヒート」、造船工場「セーヴェルナヤ・ヴェルフィ」および「バルチースキー・ザヴォード」を含む海軍関連の主要教育及び産業の中枢が北方首都に集約されているという事実に起因する。
(2012年5月12日10時52分配信)

これまでヴィソツキー提督は、ロシア海軍総司令部のサンクト-ペテルブルク移転に関し、明確な反対や批判の意向を示した事は有りませんが、積極的に実施する意向を示した事も有りませんでした。
[ロシア海軍総司令部サンクト・ペテルブルク移転問題]
[ロシア海軍総司令部は、サンクト・ペテルブルク移動についての指示を得ていない]
[予算凍結に伴い、サンクトペテルブルクへのロシア海軍総司令部移転は遅れる]
ヴィソツキー提督は、移転そのものには反対しないが、それはじっくりと時間を掛けて行なうべきであるというスタンスを持っていたようです。
しかし国防省サイドにしてみれば、ヴィソツキー提督の手法はじれったく思え、彼が総司令官の地位にある限り、海軍総司令部のサンクト-ペテルブルク移転は実現しないと思われたのでしょう。
[ヴィクトル・チルコフは新たなロシア海軍総司令官に任命された]

ウラジーミル・ヴィソツキー提督が海軍総司令官の任を解かれたのは、ロシア海軍総司令部のサンクト-ペテルブルク移転を実行に移そうとしなかった為でした。
『ロシア通信社ノーボスチ』より。
【海軍総司令官辞任の理由はサンクト-ペテルブルクへの司令部移転停滞であった】
モスクワ、5月12日-ロシア通信社ノーボスチ
ウラジミール・ヴィソツキー大将がロシア連邦海軍総司令官のポストを辞任した理由は、モスクワからサンクト-ペテルブルクへの海軍総司令部移転の必要性に関する参謀本部及び国防省の指示を無視した為である。
土曜日、参謀本部の高位の代理人はロシア通信社ノーボスチに伝えた。
ヴィソツキーは、5月6日の大統領令により任を解かれたが、軍務には留まった。
「ヴィソツキーは、サンクト-ペテルブルクへの移転を実施しておりません。これが辞任の主な理由です」
代理人は述べた。
同時に彼は、この問題に関するヴィソツキーの確固たるスタンスの維持は尊敬に値する事を強調したが、新たな海軍総司令官は、サンクト-ペテルブルクへの総司令部移転に関しては同じ見解を保持する。
同じ5月6日の大統領令では、新たなロシア海軍総司令官にヴィクトル・チルコフ中将が任命された。
土曜日、国防省の情報提供者は、モスクワからサンクト-ペテルブルクへのロシア連邦海軍総司令部の移転費用は、専門家の試算によると2008年当時の物価で400〜500億ルーブルになるとロシア通信社ノーボスチに伝えた。
「確かに、機器だけではなく100名の士官や提督も移動させ、北方首都エリアへの防御された指揮所の建設も考慮に入れて算定しております」
代理人は、2008年に海軍総司令部では約1000名が勤務していた事を想起した。
彼は、総司令部移転に関する参謀本部の指示をヴィソツキーが根本的に実施できなかった事を強調した。
「しかし、彼は移転の文書に対し、急がず、よく検討し、基盤を準備する事を主張し、海軍本部の建物だけではなく、美観の修復とロシア連邦海軍総司令部の看板に拘っていました」
代理人は述べた。
それは管理システムを作成し、士官及び提督の定住に関する社会問題を解決し、海軍の管理の基本原理を維持する為にも必要だったと彼は付け加えた。
参謀本部および国防省の主導による海軍総司令部のモスクワからサンクト-ペテルブルクへの移転構想は2007年に出てきた。
それは、クズネツォフ記念海軍アカデミー、設計局「ルビーン」および「マラヒート」、造船工場「セーヴェルナヤ・ヴェルフィ」および「バルチースキー・ザヴォード」を含む海軍関連の主要教育及び産業の中枢が北方首都に集約されているという事実に起因する。
(2012年5月12日10時52分配信)

これまでヴィソツキー提督は、ロシア海軍総司令部のサンクト-ペテルブルク移転に関し、明確な反対や批判の意向を示した事は有りませんが、積極的に実施する意向を示した事も有りませんでした。
[ロシア海軍総司令部サンクト・ペテルブルク移転問題]
[ロシア海軍総司令部は、サンクト・ペテルブルク移動についての指示を得ていない]
[予算凍結に伴い、サンクトペテルブルクへのロシア海軍総司令部移転は遅れる]
ヴィソツキー提督は、移転そのものには反対しないが、それはじっくりと時間を掛けて行なうべきであるというスタンスを持っていたようです。
しかし国防省サイドにしてみれば、ヴィソツキー提督の手法はじれったく思え、彼が総司令官の地位にある限り、海軍総司令部のサンクト-ペテルブルク移転は実現しないと思われたのでしょう。




