最後のソ連海軍総司令官ウラジーミル・チェルナヴィン海軍元帥は亡くなった
- カテゴリ:ロシア海軍ニュース

『インテルファクス軍事ニュース出張所』より
2023年3月18日10時7分配信
【最後のソヴィエト社会主義共和国連邦海軍総司令官チェルナヴィン海軍元帥は死去した】
モスクワ、3月18日、インテルファクス
最後のソヴィエト社会主義共和国連邦海軍総司令官ウラジーミル・チェルナヴィン海軍元帥は、モスクワで95歳で亡くなった。
ロシア連邦軍指導者クラブ会長ニコライ・デリャビンは土曜日に『インテルファクス』へ伝えた。
「ウラジーミル・ニコラエヴィチは、モスクワで亡くなられました。
彼は4月22日には95歳を迎える筈でした」
デリャビンは話した。
ロシア連邦軍指導者クラブを代表し、彼は個人の家族と親類に深い哀悼の意を表した。
チェルナヴィンは、1928年4月22日にニコラエフ市 (ウクライナ社会主義連邦共和国、ソ連ソヴィエト社会主義共和国連邦)で生まれた。
ソヴィエト連邦英雄(1981年)、海軍元帥(1983年)。
最後のソヴィエト社会主義共和国連邦海軍総司令官、ソヴィエト社会主義共和国連邦国防次官(1985-1992年)
ウラジーミル・ニコラエヴィチ・チェルナヴィンは、1928年4月22日にウクライナのニコラエフで生まれました。
1942年~1944年にウリヤノフスク機械技術学校で学びました。
1944年~1947年にバクー海軍予備学校で学びました。
1947年~1951年にM.V.フルンゼ記念高等海軍学校(士官学校)で学びました。
少尉任官後は潜水艦乗りとなり、1951年11月~1953年5月に潜水艦S-102で勤務しました。
1953年5月~12月には潜水艦S-102副長を務めました。

1953年末~1954年にはS.M.キーロフ記念潜水訓練隊の潜水航行・対潜防衛高等特別士官クラスで学びました。
1954年9月~1956年2月に潜水艦S-155の副長を務めました。
1956年9月~1959年3月には潜水艦S-147艦長を務めました。
1959年3月~1962年8月には原子力潜水艦K-21艦長を務めました。

1962年~1965年には海軍大学校で学びました。
1965年7月~1967年6月に北方艦隊の第3潜水艦師団参謀長を務めました。
1966年2月~3月にA.I.ソロキン少将の指揮下で行なわれたドレーク海峡経由の南半球ルートでの原子力潜水艦K-166とK-133の太平洋艦隊への回航へ参加しました。
1967年~1969年にはK.E.ヴォロシーロフ記念ソヴィエト連邦軍参謀本部アカデミーで学びました。
1969年7月~1972年2月に北方艦隊の第19潜水艦師団司令官を務めました。
1972年2月~1973年9月に北方艦隊の第3潜水艦小艦隊参謀長を務めました。
1973年9月~1974年9月に北方艦隊の第3潜水艦小艦隊司令官を務めました。
1974年9月~1977年7月に北方艦隊参謀長を務めました。
1977年7月1日~1981年12月16日に北方艦隊司令官を務めました。

1981年12月16日にはソ連海軍第1副総司令官兼総参謀長に任命されました。
1985年8月25日、セルゲイ・ゴルシコフ提督の後任のソ連海軍総司令官に就任し、ソ連国防次官も兼任しました。
ソ連邦解体後、1992年2月14日~8月25日に独立国家共同体(CIS)海軍司令官を務めました。
1992年8月25日にロシア連邦国防相付となり、~1993年2月6日に退役しました。
退役後は、ロシア政府機関やロシア国防省の機関へ「天下り」し、2021年まで務めていました。

その後に入院し、闘病生活の後、2023年3月18日に94歳で亡くなりました。
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