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ルビーン設計局はリチウムイオン電池潜水艦アムール e600を開発する

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『ロシア通信社ノーボスチ』より
2022年8月16日10時3分配信
【中央設計局『ルビーン』は電池潜水艦プロジェクト「アムール-e600」を開発した】
クビンカ (モスクワ州)、8月16日-ロシア通信社ノーボスチ

中央設計局『ルビーン』は、リチウムイオン電池の使用により、排水量わずか600トンで17日までの水中自立性を持つ最新の完全電池潜水艦プロジェクト「アムール-e600」を開発した。
『ロシア通信社ノーボスチ』は火曜日に中央設計局『ルビーン』の代理人より伝えられた。

このプロジェクトは、フォーラム『アルミヤ-2022』で発表された。
運用中のプロジェクト677「ラーダ」潜水艦(輸出名「アムール」)はディーゼルエレクトリックである。

「排水量約600トンの完全電池小型潜水艦は、『アルミヤ-2022』展示会で中央設計局『ルビーン』により示されています。
単殻船体の建造方式のプロジェクト艦はアムールファミリーに属しており、アムール e600と命名されました。
ファミリーの他の潜水艦と異なるのは、新たなプロジェクトの主要動力源は大容量のリチウムイオン電池であり、小型の予備ディーゼル発電機により補完されます。
プロジェクトの主な長所は、コンパクトな寸法と高い水中自立性です:速力4ノットで潜水艦は14~17日間水中に滞在できます。
これは、非大気依存発電装置を持つより大型の潜水艦の継続水中自立性に相当します」
『ルビーン』
の代理人は話した。

彼は更に、航続距離は約1500海里になると述べた。
プロジェクトでは、エネルギーの消費を最小限に抑える事を目的とした多くの解決策が使用された。
その中で最も顕著なのは、収納式装置(セイル)が無い事であり、これを断念する事により航行中の消費電力が低減する。



ロシア潜水艦設計局である海洋工学中央設計局『ルビーン』は、通常動力潜水艦の為の新たな非大気依存発電装置(AIP機関)改質型燃料電池の開発を進めています。
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[ロシア海軍の通常動力潜水艦の為の非大気依存発電装置(改質型燃料電池)は2023年末に作成される]

この非大気依存機関は、2011年12月初頭に陸上試験の最初の段階を終えています。
[ロシアは新たなAIP機関の試験を終えた]

その一方で『ルビーン』は、潜水艦用のリチウムイオン電池の開発も進めており、2014年12月には陸上での試験に成功しています。
[ロシアは潜水艦用のリチウムイオン電池の試験に成功した]

2022年8月15日から21日までモスクワ州クビンカ『愛国者公園』で開催される国際軍事技術フォーラム『アルミヤ-2022』で、『ルビーン』リチウムイオン電池搭載の小型潜水艦「アムール e600」を初めて公表しました。
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「アムール e600」ディーゼルエレクトリック推進では無く、エレクトリック推進のみの潜水艦となっています。
(予備動力として小型のディーゼルエンジンは搭載しますが)

ロシア海軍の将来第5世代戦略用途原子力ロケット水中巡洋艦概念設計案「アルクトゥル」

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『ロシア通信社ノーボスチ』より
2022年8月16日3時23分配信
【開発者は潜水艦「アルクトゥル」をより隠密にする方法を見い出した】
クビンカ (モスクワ州)、8月16日-ロシア通信社ノーボスチ

将来世代戦略原子力潜水艦「アルクトゥル」は、多面的な形状とシャフトレス動力を考慮に入れ、より隠密になる。
『ロシア通信社ノーボスチ』中央設計局『ルビーン』の代理人より伝えられた。

「ルビーン」『アルミヤ-2022』展示会で、将来戦略用途原子力ロケット水中巡洋艦の概念設計「アルクトゥル」の能力についてのヴィジョンを示した。

「アルクトゥルの外観の新たな多面的形状は、艦の寸法の縮小及び先進アクティブコーティングと共に、ソナー反射信号を低減し、潜水艦の探知距離を減らします。
分散型シャフトレス動力装置を使用する完全な電気推進により騒音の低減が可能となり、2基のエンジンの存在により、ロケット艦の機動性と信頼性は向上します」
『ルビーン』
の代理人は指摘した。

彼は、水中巡洋艦の主要特性は隠密性のままであるが、潜水艦の探知方法は絶えず発展しており、これは隠密性を保障する方法も変わらなければならない事を意味すると強調した。
騒音の低減は、アクティブ低周波システムが探知で増々大きな役割を果たしている事に繋がる。

「これらの解決法は、アルクトゥルを使用する最も有望な地域である高緯度北極圏の観点からも重要です。
この地域への関心は、今後数十年で高まるのみです。
多面的形状の輪郭は、浮上時の砕氷を簡単なものにし、それが発射筒のカバーに付着する事を許しません。
より優れた操縦性は、北極圏で位置を占める為に重要です」

対談者は締め括った。


『ロシア通信社ノーボスチ』より
2022年8月16日3時25分配信
【原子力潜水艦「アルクトゥル」は新たな兵器を装備すると設計局『ルビーン』は伝えた】
クビンカ (モスクワ州)、8月16日-ロシア通信社ノーボスチ

将来の第5世代戦略原子力潜水艦ミサイル兵器の改良を考慮に入れて排水量が20パーセント減り、その仮の名は「アルクトゥル」、登場時期は21世紀後半になる。
『ロシア通信社ノーボスチ』中央設計局『ルビーン』の代理人より伝えられた。

「ルビーン」『アルミヤ-2022』展示会で、将来戦略用途原子力ロケット水中巡洋艦の概念設計「アルクトゥル」の能力についてのヴィジョンを示した。

「ミサイル兵器の絶え間ない改良により、艦の戦闘能力を維持しながら艦内のミサイルの数を減らす事が可能となります。
これを考慮に入れ、更に建造方式の変更のお陰により、アルクトゥルの排水量は最新ロケット艦よりも20パーセント少なくなります。
その全長は134メートル、幅15.7メートル、乗組員は約100名です」
『ルビーン』
の代理人は話した。

彼によると「新たなプロジェクト艦がボレイ-Aロケット艦シリーズと交代するのは、今世紀後半より前になるでしょう」
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『ロシア通信社ノーボスチ』より
2022年8月16日3時34分配信
【開発者は将来原子力潜水艦「アルクトゥル」で敵を探知する方法を明らかにした】
クビンカ (モスクワ州)、8月16日-ロシア通信社ノーボスチ

将来世代戦略的原子力潜水艦「アルクトゥル」は、ロボット工学~水中無人艇を使用して敵を早期に探知できる。
『ロシア通信社ノーボスチ』海洋工学中央設計局『ルビーン』の代理人より伝えられた。

「ルビーン」『アルミヤ-2022』展示会で、将来戦略用途原子力ロケット水中巡洋艦の概念設計「アルクトゥル」の能力についてのヴィジョンを示した。

「プロジェクトの多機能性は、今日においては未知な今世紀後半の条件での関連性を保障します。
アルクトゥルは戦略兵器のみならず、様々なクラスの無人装置の搭載が可能です。
小型及び中型の装置は艦の発射筒へ配置でき、大型装置の為には艦外配置が提供されます。
水中ロボット工学のお陰により、アルクトゥルは環境をより適切に表し、敵をより早く探知し、攻撃をより適切に回避します」

同社の代理人は話した。

彼は、新たなタイプの無人装置の出現により、水中ロケット巡洋艦の他用途潜水艦への変身が可能になる事を強調した。

現在、中央設計局『ルビーン』は、国防省の利益の為に「スロガート」「クラヴェシン」と他のタイプの一連の無人艇を開発している。



ソ連/ロシア海軍戦略原子力潜水艦(戦略用途原子力ロケット水中巡洋艦)の設計を手掛けてきた海洋工学中央設計局『ルビーン』は、現在建造が進められている第4世代の戦略原子力潜水艦「ボレイ」シリーズの次世代(第5世代)の戦略原子力潜水艦の開発を2010年頃から水面下で進めていました。
[ロシアは第5世代潜水艦の設計作業を始めている]
第5世代戦略原子力潜水艦の開発作業の成果は、2012年から建造が始まった改「ボレイ」級(「ボレイ-A」)の設計にも取り入れられています。

これまでは殆ど情報の無かった第5世代戦略原子力潜水艦ですが、2022年8月15日から21日までモスクワ州クビンカ『愛国者公園』で開催される国際軍事技術フォーラム『アルミヤ-2022』で初めて概要が明らかにされました。
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アルクトゥルАрктурは、アークトゥルス(うしかい座α星)の事です。
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開発元の『ルビーン』は、第5世代戦略用途原子力ロケット水中巡洋艦「アルクトゥル」は排水量が20パーセント少なくなると言っておりますが、これは「ボレイ-A」(水中排水量25000トン)と比べての話なので、水中排水量は2万トン程度になるようです。
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「ボレイ」シリーズと同様にスクリューでは無くポンプジェット推進になり、機関は原子力ターボ・エレクトリック方式になるようです。

全長も「ボレイ-A」より約30メートル短い134メートル、幅15.7メートル、乗組員は約100名。

弾道ミサイルも、「ボレイ-A」の16基よりは少なくなるようです(12基)
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「アルクトゥル」弾道ミサイルの他に水中無人艇の搭載も可能であり、場合によっては水中無人艇母艦としても活動できるようです。
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ただ、実際に建造されるのはかなり先になるようですが・・・

ロシア海軍北方艦隊の原子力大型潜水艦タンボフは2022年に近代化改装を終えて復帰する

テレビ局『ズヴェズダー』より
2022年7月3日10時0分配信
【「シチューカ」:第2世代水中戦闘機】
スネシュノゴルスク艦船修理工場『ネルパ』で近代化改装中の原子力潜水艦「タンボフ」の特集番組です。



プロジェクト671RTMK巡洋潜水艦K-448は、1991年1月28日にレニングラード(現サンクトペテルブルク)の『アドミラルティ造船所』で起工されました。

K-448は、671RTM/RTMK「シチューカ」(ヴィクターIII)の最終艦(通算26番艦)であり、671(ヴィクター)シリーズの最終艦です。
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1991年10月17日に造船台から出渠し、10月19日に進水しました。

1992年春にはロシア内陸水路経由でセヴェロドヴィンスクへ回航されました。

1992年6月3日付で「原子力大型潜水艦」に艦種変更され、B-448と改称されました。

1992年6月18日から白海で航行試験を開始しました。

1992年8月には白海で国家試験を行ないました。

1992年9月24日、受領証書への署名が行なわれ、海軍へ納入されました。

1992年10月6日、海軍旗初掲揚式典が開催されました。

1992年10月26日にアラ・グバ基地へ到着しました。

1993年2月5日、正式に北方艦隊第6潜水艦師団へ編入されました。

1993年夏以降、洋上での戦闘勤務を開始しました。

1994年3月25日に「タンボフ」と命名されました。
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1994年10月1日、第7潜水艦師団へ転属しました。

1996年2月28日、潜航中の「タンボフ」の乗組員1名が虫垂炎と腹膜炎を発症し、病院へ搬送する必要が生じた為、付近で演習を行なっていたNATO艦隊の内の1隻であるイギリス海軍駆逐艦「グラスゴー」の近くへ浮上し、救助を求めました。
その後、「タンボフ」乗組員はイギリス海軍ヘリコプターで病院へ運ばれました。
この時、イギリス海軍は、潜航していた潜水艦アクラ級(プロジェクト971「シチューカ-B」)と誤認していました。

1999年6月22日~26日のロシア連邦軍戦略演習『ザーパド-99』へ参加しました。

1999年8月20日~26日には、同年1月に就役してセヴェロモルスクへ回航中の大型対潜艦「アドミラル・チャバネンコ」のソナー試験に協力しました。

その後もバレンツ海方面で活動していましたが、2011年には修理及び近代化の為にスネシュノゴルスク艦船修理工場『ネルパ』へ回航されました。
[2012年の艦船修理工場「ネルパ」への国家発注は大幅に増加する]

しかし修理と近代化の作業は遅々として進まず、一時期(2013年春頃)は近代化を断念して早期退役も検討されました。
[ロシア海軍はヴィクターIII級原潜を近代化しない]

その後、スローペースながらも修理と近代化の作業は進められ、2021年末の現役復帰が計画されていました。
『統合造船業営団』公式サイトより
2021年9月21日配信
【『統合造船業営団』副総取締役コロリョーフ:最新の科学の成果は先ず第一に艦隊で実現する】
『統合造船業営団』軍事造船担当副総取締役ウラジーミル・コロリョーフ(元ロシア海軍総司令官)は、「タンボフ」は2021年末までに修理を完了して(海軍へ)引き渡すと発言しました。

しかし2021年末になっても実現せず、改装工事の完了と海軍への復帰は翌2022年に延期される事になりました。


1977年~1992年に計26隻が就役したプロジェクト671RTM/RTMK原子力大型潜水艦の内、今も現役に留まっているのは、改装中の「タンボフ」以外には「オブニンスク」のみです。
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記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは博物館へ陸揚げする為に船体を切断する

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『タス通信』より
2021年12月16日6時45分配信
【最初のソヴィエトの原子力潜水艦K-3は永久停泊場所へ送り届ける為に分割される】
モスクワ、12月16日/タス通信

最初のソヴィエト原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモーレツ」は、地上のクロンシュタット海軍栄光博物館の永久停泊場所へ送り届けられるが、その為に船体は2つに分割される。
『タス通信』は2名の防衛産業企業体の情報提供者より伝えられた。

「原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは博物館化の作業の後、クロンシュタットの地上に作られる海軍栄光博物館へ送り届けられます。
この為に、潜水艦の108メートルの船体を2つに分割する事が予定されています」

対談者は話した。

2021年秋、原子力潜水艦は、浮きドック「スヴィヤガ」で内部水路により北方艦隊からバルト海への艦隊間移動を行なった。
現在、K-3クロンシュタット海洋工場に居る。
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潜水艦の博物館化の設計は、プロジェクト627を開発したサンクトペテルブルク機械製造局『マラヒート』(『統合造船業営団』へ加入)により行なわれた。
停泊場所への輸送まで、潜水艦は暫くの間は『北方造船所』へ戻る予定である。

以前、「フォルトフ島」の観光-レクリエーション作成の為のプロジェクト室長クセニア・ショイグは、海軍栄光博物館の作成は、2023年第1四半期に完了しなければならないと述べた。
その中心的な展示品は、1958年にセヴェロドヴィンスク造船所『セヴマシュ』で建造されたソヴィエト初にして世界で第3の原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモーレツ」(プロジェクト627「キート」のトップ艦)となる。



ソヴィエト連邦初の原子力潜水艦であるK-3は、プロジェクト627「キート」巡洋潜水艦(NATOコード名「ノヴェンバー」)の1番艦として、1956年9月24日にモロトフスク(現セヴェロドヴィンスク)第402造船工場(現セヴマシュ)で起工されました。
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1957年10月9日に進水した後に係留試験が始まり、翌1958年6月に終了しました。

1958年7月21日には、ソ連海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ提督、ソ連造船業相ボリス・ブトマが出席し、ソ連邦海軍旗の初掲揚式典が開催されました。
この時点で、K-3は未だ航海試験も始まっていませんでした。

1958年7月3日、工場航行試験をすっ飛ばして、いきなり国家受領試験が始まりました。
翌7月4日10時3分、初めてK-3原子力機関が始動しました。

1958年8月には潜水航行試験が行なわれました。

1958年11月26日から12月2日まで白海で潜航試験が行なわれ、深度310mまで潜航しました。

1958年12月17日、巡洋潜水艦K-3受領証書への署名が行なわれ、ソ連海軍へ納入されました。

しかし、初めての原子力潜水艦という事も有り、色々と問題点が発覚した為、1958年1月には「試験運用」へ移行しました。
プロジェクト627の2番艦以降は、改良型のプロジェクト627Aとして建造されることになりました。

翌1959年も白海で各種試験に従事し、同年10月下旬に、ようやく白海からバレンツ海北方艦隊基地ザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ移動しました。
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1959年11月1日から15日まで初の遠距離航海を行ない、グリーンランド付近まで進出しましたが、浮上時に氷に衝突して損傷しました。

帰港後、1959年12月から1960年5月までセヴェロドヴィンスク「セヴマシュ」で修理と近代化改装を行ない、新たな航法複合体が設置されました。

1960年12月から1961年2月まで「セヴマシュ」で係留試験が行なわれました。

1961年5月26日から8月7日まで航海試験が行なわれ、再びザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ配備されました。

1961年9月17日から31日までカラ海において、北極海での水中航行時の航法複合体の動作試験が行なわれました。
この間、9月20日から24日まで魚雷の実弾射撃を実施しています。

1962年7月4日から21日まで検査航海を行なった後、7月11日から21日まで北極圏航海を行ないました。
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水中航行中に原子炉の冷却循環ポンプが故障し、潜航したまま修理を行なっています。

1962年9月に核燃料棒の不備が発覚し、セヴェロドヴィンスクへ回航されました。

1962年10月9日、「レニンスキー・コムソモール」(レーニン共産党青年団)と命名されました。

1963年2月26日から1965年10月29日まで原子炉の交換と近代化改装が行なわれました。
撤去された核燃料棒はカラ海へ投棄されました。

1965年10月29日から11月7日まで航海試験を行ない、同年11月24日に海軍へ引き渡され、11月29日にはザーパドナヤ・リツァへ戻りました。

1965年12月17日、ソ連の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリン「レニンスキー・コムソモール」を訪れました。

1966年3月23日に白海で氷に衝突して潜望鏡を曲げました。

1966年7月10日から8月29日まで遠距離航海を行ない、大西洋、サルガッソー海、メキシコ湾まで進出し、魚雷発射訓練を行ないました。

1967年3月12日から4月30日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で船体のメンテナンスが行なわれました。
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1967年7月10日から9月11日まで遠距離航海を行ない、地中海へ進出しました。
地中海から戻る途中の9月4日、ノルウェイ海で火災事故を起こし(第1区画から出火し、第2区画に延焼)、乗員39名が死亡しました。
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1967年9月14日から11月5日までセヴェロドヴィンスクで修理が行なわれました。

1968年7月21日から29日までワルシャワ条約機構諸国海軍北方艦隊バルト艦隊の合同演習へ参加しました。

1968年12月8日からポリャールヌイ第10艦船修理工場でオーバーホールが行なわれ、1971年12月28日に復帰しました。

1972年1月にはグレミハ基地へ移動しました。
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1972年10月29日から11月5日まで演習を行ないました。

1973年5月12日から6月1日まで遠距離航海を行ない、大西洋地中海へ進出しました。

1975年2月に第7区画で火災が発生し乗員2名が重傷を負いました。

1975年4月24日から6月13日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1976年1月31日から2月21日までグレミハの浮きドックで定期修理が行なわれました。

同年6月1日から27日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1977年7月25日、「大型潜水艦」に再分類されました。

1977年12月29日からポリャールヌイ第10艦船修理工場で定期修理が始まりました。

1978年1月8日、修理中に火災が発生しました。

1978年12月30日に修理を終えて復帰しました。

1982年5月25日から6月25日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1985年1月から9月末までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1985年には、「オケアン-85」、「大西洋-85」、「北方-85」といった大規模演習へ参加しました。

1985年7月2日から27日までノルウェイ海で哨戒活動を実施しました。

1986年4月からポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が始まりました。

しかし修理は完了する事無く、1987年10月17日には海軍の戦闘編制から除外されました(事実上の退役)。

1988年9月9日には練習船となり、グレミハ基地に固定されました。

1989年3月14日、B-3と改称されました。

1991年には北方艦隊の編制表から消されました。

1993年9月30日、正式に海軍から除籍されました。

その後も係留保管されていましたが、2002年11月にポリャールヌイ第10艦船修理工場へ到着しました。

2003年5月30日から7月3日に使用済み核燃料が撤去されました。

2005年10月28日にはスネシュノゴルスク艦船修理工場『ネルパ』へ回航され、博物館への改装が行なわれる事になりました。
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2007年以降、原子炉区画が撤去され、代わりのダミー区画が製造されました。
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2017年2月に再進水する予定でしたが、半年以上遅れ、2017年9月8日になりました。
[ソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは記念艦となる]
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは再び進水した]


当初、「レニンスキー・コムソモール」は、ムルマンスクで保存されている原子力砕氷船「レーニン」の隣で展示される予定でした。
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しかしその後、クロンシュタットフォルトフ島で展示される事になりました。


艦船修理工場『ネルパ』は、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットへの移動の為に準備作業を行ないました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ回航される]

2021年8月19日、浮きドックへ載せられた「レニンスキー・コムソモール」『ネルパ』埠頭を離れました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ向かう]

8月26日にクロンシュタットへの移動を開始しました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへの移動を開始した]

「レニンスキー・コムソモール」白海ベロモルスクへ行き、そこから内陸水路へ入りました。


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9月13日にスヴィリ川へ入りました。
『ロシア連邦国防省公式サイト』より
ロシア北方艦隊広報サービス発表
2021年9月13日14時0分配信
【原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」を載せた浮きドック「スヴィヤガ」はサンクトペテルブルクの『北方造船所』への曳航中にスヴィリ川へ入った】

9月21日にサンクトペテルブルク『北方造船所』へ到着しました。
『タス通信』より
2021年9月21日23時1分配信
【ソヴィエト社会主義共和国連邦初の原子力潜水艦K-3はサンクトペテルブルクへ到着した】
ここで浮きドックから出渠した後にクロンシュタットへ向かいました。
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10月1日にクロンシュタットへ到着しました。


今後、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットフォルトフ島へ建設される海軍栄光博物館で展示する為に陸揚げされますが、その為には一旦船体を切断する必要が有ります。

記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへの移動を開始した

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『ロシア連邦国防省公式サイト』より
ロシア連邦国防省情報・マスコミュニケーション部発表
2021年8月26日12時15分配信
【クロンシュタットで艦博物館となる最初のソヴィエトの原子力潜水艦が北方艦隊から曳航されていった】

ロシア海軍総司令官ニコライ・エフメノフ大将が述べたように
「本日(8月26日)11時0分、伝説の原子力潜水艦K-3レニンスキー・コムソモールの北方艦隊からサンクトペテルブルク、そしてクロンシュタットへの艦隊艦曳航が始まりました。
潜水艦の曳航は、曳船の助力を得て浮きドック"スヴィヤガ"により行なわれます。
現在、潜水艦を載せた浮きドックをコラ湾から出ています」


ニコライ・エフメノフ大将によると、潜水艦K-3を載せた浮きドック「スヴィヤガ」は8月31日にベロモルスクへ到着する。
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その後、9月10日に潜水艦ドックサンクトペテルブルク『北方造船所』へ到着する。
そこで潜水艦は、その後のクロンシュタットへの曳航の為に浮きドックから出る。

[参照]
「レニンスキー・コムソモール」
は、ソヴィエト初にして世界で第3の原子力潜水艦であり、プロジェクト627「キート」のトップ艦である。
1995年9月24日にセヴェロドヴィンスクで起工され、1957年8月9日に進水した。
この潜水艦は63歳になる。
1961年、大西洋での最初の戦闘勤務へ向かった。
その1年後、歴史上初めて北氷洋の氷の下を通行した。

1991年、潜水艦北方艦隊から除籍された。
2005年、K-3は、処分の為に艦船修理工場『ネルパ』(艦船修理センター『ズヴェズドーチカ』支所)へ置かれた。
2010年、海軍総司令官は、K-3を処分せず、歴史の為に保存する最終決定を下した。





ソヴィエト連邦初の原子力潜水艦であるK-3は、プロジェクト627「キート」巡洋潜水艦(NATOコード名「ノヴェンバー」)の1番艦として、1956年9月24日にモロトフスク(現セヴェロドヴィンスク)第402造船工場(現セヴマシュ)で起工されました。
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1957年10月9日に進水した後に係留試験が始まり、翌1958年6月に終了しました。

1958年7月21日には、ソ連海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ提督、ソ連造船業相ボリス・ブトマが出席し、ソ連邦海軍旗の初掲揚式典が開催されました。
この時点で、K-3は未だ航海試験も始まっていませんでした。

1958年7月3日、工場航行試験をすっ飛ばして、いきなり国家受領試験が始まりました。
翌7月4日10時3分、初めてK-3原子力機関が始動しました。

1958年8月には潜水航行試験が行なわれました。

1958年11月26日から12月2日まで白海で潜航試験が行なわれ、深度310mまで潜航しました。

1958年12月17日、巡洋潜水艦K-3受領証書への署名が行なわれ、ソ連海軍へ納入されました。

しかし、初めての原子力潜水艦という事も有り、色々と問題点が発覚した為、1958年1月には「試験運用」へ移行しました。
プロジェクト627の2番艦以降は、改良型のプロジェクト627Aとして建造されることになりました。

翌1959年も白海で各種試験に従事し、同年10月下旬に、ようやく白海からバレンツ海北方艦隊基地ザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ移動しました。
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1959年11月1日から15日まで初の遠距離航海を行ない、グリーンランド付近まで進出しましたが、浮上時に氷に衝突して損傷しました。

帰港後、1959年12月から1960年5月までセヴェロドヴィンスク「セヴマシュ」で修理と近代化改装を行ない、新たな航法複合体が設置されました。

1960年12月から1961年2月まで「セヴマシュ」で係留試験が行なわれました。

1961年5月26日から8月7日まで航海試験が行なわれ、再びザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ配備されました。

1961年9月17日から31日までカラ海において、北極海での水中航行時の航法複合体の動作試験が行なわれました。
この間、9月20日から24日まで魚雷の実弾射撃を実施しています。

1962年7月4日から21日まで検査航海を行なった後、7月11日から21日まで北極圏航海を行ないました。
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水中航行中に原子炉の冷却循環ポンプが故障し、潜航したまま修理を行なっています。

1962年9月に核燃料棒の不備が発覚し、セヴェロドヴィンスクへ回航されました。

1962年10月9日、「レニンスキー・コムソモール」(レーニン共産党青年団)と命名されました。

1963年2月26日から1965年10月29日まで原子炉の交換と近代化改装が行なわれました。
撤去された核燃料棒はカラ海へ投棄されました。

1965年10月29日から11月7日まで航海試験を行ない、同年11月24日に海軍へ引き渡され、11月29日にはザーパドナヤ・リツァへ戻りました。

1965年12月17日、ソ連の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリン「レニンスキー・コムソモール」を訪れました。

1966年3月23日に白海で氷に衝突して潜望鏡を曲げました。

1966年7月10日から8月29日まで遠距離航海を行ない、大西洋、サルガッソー海、メキシコ湾まで進出し、魚雷発射訓練を行ないました。

1967年3月12日から4月30日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で船体のメンテナンスが行なわれました。
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1967年7月10日から9月11日まで遠距離航海を行ない、地中海へ進出しました。
地中海から戻る途中の9月4日、ノルウェイ海で火災事故を起こし(第1区画から出火し、第2区画に延焼)、乗員39名が死亡しました。
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1967年9月14日から11月5日までセヴェロドヴィンスクで修理が行なわれました。

1968年7月21日から29日までワルシャワ条約機構諸国海軍北方艦隊バルト艦隊の合同演習へ参加しました。

1968年12月8日からポリャールヌイ第10艦船修理工場でオーバーホールが行なわれ、1971年12月28日に復帰しました。

1972年1月にはグレミハ基地へ移動しました。
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1972年10月29日から11月5日まで演習を行ないました。

1973年5月12日から6月1日まで遠距離航海を行ない、大西洋地中海へ進出しました。

1975年2月に第7区画で火災が発生し乗員2名が重傷を負いました。

1975年4月24日から6月13日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1976年1月31日から2月21日までグレミハの浮きドックで定期修理が行なわれました。

同年6月1日から27日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1977年7月25日、「大型潜水艦」に再分類されました。

1977年12月29日からポリャールヌイ第10艦船修理工場で定期修理が始まりました。

1978年1月8日、修理中に火災が発生しました。

1978年12月30日に修理を終えて復帰しました。

1982年5月25日から6月25日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1985年1月から9月末までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1985年には、「オケアン-85」、「大西洋-85」、「北方-85」といった大規模演習へ参加しました。

1985年7月2日から27日までノルウェイ海で哨戒活動を実施しました。

1986年4月からポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が始まりました。

しかし修理は完了する事無く、1987年10月17日には海軍の戦闘編制から除外されました(事実上の退役)。

1988年9月9日には練習船となり、グレミハ基地に固定されました。

1989年3月14日、B-3と改称されました。

1991年には北方艦隊の編制表から消されました。

1993年9月30日、正式に海軍から除籍されました。

その後も係留保管されていましたが、2002年11月にポリャールヌイ第10艦船修理工場へ到着しました。

2003年5月30日から7月3日に使用済み核燃料が撤去されました。

2005年10月28日にはスネシュノゴルスク艦船修理工場『ネルパ』へ回航され、博物館への改装が行なわれる事になりました。
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2007年以降、原子炉区画が撤去され、代わりのダミー区画が製造されました。
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2017年2月に再進水する予定でしたが、半年以上遅れ、2017年9月8日になりました。

[ソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは記念艦となる]
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは再び進水した]


当初、「レニンスキー・コムソモール」は、ムルマンスクで保存されている原子力砕氷船「レーニン」の隣で展示される予定でした。
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しかしその後、クロンシュタットフォルトフ島で展示される事になりました。



艦船修理工場『ネルパ』は、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットへの移動の為に準備作業を行ないました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ回航される]

2021年8月19日、浮きドックへ載せられた「レニンスキー・コムソモール」『ネルパ』埠頭を離れました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ向かう]

8月26日にクロンシュタットへの移動を開始しました。

「レニンスキー・コムソモール」白海ベロモルスクへ行き、そこから内陸水路経由でサンクトペテルブルクへ向かい、同地で浮きドックを出た後にクロンシュタットへ移動します。

記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ向かう


『タス通信』より
2021年8月20日5時2分配信
【ソヴィエト社会主義共和国連邦の最初の原子力艦K-3はスネシュノゴルスクの工場『ネルパ』からクロンシュタットへの移動を開始した】
ムルマンスク、8月19日/タス通信

ソヴィエト初の原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」は、ムルマンスク州からクロンシュタット海軍の栄光博物館の永遠の停泊場所~へ向かった。
『タス通信』は木曜日に、潜水艦の輸送を準備し、船架板張り浮きドック「スヴィヤガ」を製造したスネシュノゴルスク艦船修理工場『ネルパ』広報サービスより伝えられた。

「本日(8月19日)、それは工場の埠頭から離れ、近日中に指定場所へ向かいます。
工場『ネルパ』は、移動の為の全ての準備作業を行ないました」

対談者は話した。

工場の専門家は、浮きドック「スヴィヤガ」への「レニンスキー・コムソモール」設置の為、1週間以上の準備を行なった。
加えて約2週間は、設置自体、輸送中の安全保障の為の追加の隔壁の据え付け、更には必要な文書の準備に従事した。
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クロンシュタットへの艦隊間移動は、10日~14日続く。

以前、プロジェクト627原子力潜水艦のトップK-3「レニンスキー・コムソモール」は、ムルマンスク州スネシュノゴルスクからクロンシュタットへの移動を準備している事が知られるようになった。
原子力潜水艦博物館展示品への改装の為の文書の開発には、プロジェクト627を開発したサンクトペテルブルク機械製造局『マラヒート』が従事した。

「レニンスキー・コムソモール」は、ソヴィエト初にして世界で第3の原子力潜水艦であり、プロジェクト627「キート」のトップ艦である。
1995年9月24日にセヴェロドヴィンスク第402工場(現-生産合同『セヴマシュ』)で起工され、1957年8月9日に進水した。
1991年、潜水艦北方艦隊から除籍された。

2005年、K-3は、処分の為に艦船修理工場『ネルパ』(艦船修理センター『ズヴェズドーチカ』支所)へ置かれた。
艦船修理業者は、潜水艦博物館にするというアイデアを表明し、艦を救う為に最初に闘った。
2010年、海軍総司令官は、K-3を処分せず、歴史の為に保存する最終決定を下した。





ソヴィエト連邦初の原子力潜水艦であるK-3は、プロジェクト627「キート」巡洋潜水艦(NATOコード名「ノヴェンバー」)の1番艦として、1956年9月24日にモロトフスク(現セヴェロドヴィンスク)第402造船工場(現セヴマシュ)で起工されました。
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1957年10月9日に進水した後に係留試験が始まり、翌1958年6月に終了しました。

1958年7月21日には、ソ連海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ提督、ソ連造船業相ボリス・ブトマが出席し、ソ連邦海軍旗の初掲揚式典が開催されました。
この時点で、K-3は未だ航海試験も始まっていませんでした。

1958年7月3日、工場航行試験をすっ飛ばして、いきなり国家受領試験が始まりました。
翌7月4日10時3分、初めてK-3原子力機関が始動しました。

1958年8月には潜水航行試験が行なわれました。

1958年11月26日から12月2日まで白海で潜航試験が行なわれ、深度310mまで潜航しました。

1958年12月17日、巡洋潜水艦K-3受領証書への署名が行なわれ、ソ連海軍へ納入されました。

しかし、初めての原子力潜水艦という事も有り、色々と問題点が発覚した為、1958年1月には「試験運用」へ移行しました。
プロジェクト627の2番艦以降は、改良型のプロジェクト627Aとして建造されることになりました。

翌1959年も白海で各種試験に従事し、同年10月下旬に、ようやく白海からバレンツ海北方艦隊基地ザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ移動しました。
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1959年11月1日から15日まで初の遠距離航海を行ない、グリーンランド付近まで進出しましたが、浮上時に氷に衝突して損傷しました。

帰港後、1959年12月から1960年5月までセヴェロドヴィンスク「セヴマシュ」で修理と近代化改装を行ない、新たな航法複合体が設置されました。

1960年12月から1961年2月まで「セヴマシュ」で係留試験が行なわれました。

1961年5月26日から8月7日まで航海試験が行なわれ、再びザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ配備されました。

1961年9月17日から31日までカラ海において、北極海での水中航行時の航法複合体の動作試験が行なわれました。
この間、9月20日から24日まで魚雷の実弾射撃を実施しています。

1962年7月4日から21日まで検査航海を行なった後、7月11日から21日まで北極圏航海を行ないました。
16-1211e.jpg
水中航行中に原子炉の冷却循環ポンプが故障し、潜航したまま修理を行なっています。

1962年9月に核燃料棒の不備が発覚し、セヴェロドヴィンスクへ回航されました。

1962年10月9日、「レニンスキー・コムソモール」(レーニン共産党青年団)と命名されました。

1963年2月26日から1965年10月29日まで原子炉の交換と近代化改装が行なわれました。
撤去された核燃料棒はカラ海へ投棄されました。

1965年10月29日から11月7日まで航海試験を行ない、同年11月24日に海軍へ引き渡され、11月29日にはザーパドナヤ・リツァへ戻りました。

1965年12月17日、ソ連の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリン「レニンスキー・コムソモール」を訪れました。

1966年3月23日に白海で氷に衝突して潜望鏡を曲げました。

1966年7月10日から8月29日まで遠距離航海を行ない、大西洋、サルガッソー海、メキシコ湾まで進出し、魚雷発射訓練を行ないました。

1967年3月12日から4月30日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で船体のメンテナンスが行なわれました。
16-1211g.jpg

1967年7月10日から9月11日まで遠距離航海を行ない、地中海へ進出しました。
地中海から戻る途中の9月4日、ノルウェイ海で火災事故を起こし(第1区画から出火し、第2区画に延焼)、乗員39名が死亡しました。
P627.jpg

1967年9月14日から11月5日までセヴェロドヴィンスクで修理が行なわれました。

1968年7月21日から29日までワルシャワ条約機構諸国海軍北方艦隊バルト艦隊の合同演習へ参加しました。

1968年12月8日からポリャールヌイ第10艦船修理工場でオーバーホールが行なわれ、1971年12月28日に復帰しました。

1972年1月にはグレミハ基地へ移動しました。
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1972年10月29日から11月5日まで演習を行ないました。

1973年5月12日から6月1日まで遠距離航海を行ない、大西洋地中海へ進出しました。

1975年2月に第7区画で火災が発生し乗員2名が重傷を負いました。

1975年4月24日から6月13日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1976年1月31日から2月21日までグレミハの浮きドックで定期修理が行なわれました。

同年6月1日から27日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1977年7月25日、「大型潜水艦」に再分類されました。

1977年12月29日からポリャールヌイ第10艦船修理工場で定期修理が始まりました。

1978年1月8日、修理中に火災が発生しました。

1978年12月30日に修理を終えて復帰しました。

1982年5月25日から6月25日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1985年1月から9月末までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1985年には、「オケアン-85」、「大西洋-85」、「北方-85」といった大規模演習へ参加しました。

1985年7月2日から27日までノルウェイ海で哨戒活動を実施しました。

1986年4月からポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が始まりました。

しかし修理は完了する事無く、1987年10月17日には海軍の戦闘編制から除外されました(事実上の退役)。

1988年9月9日には練習船となり、グレミハ基地に固定されました。

1989年3月14日、B-3と改称されました。

1991年には北方艦隊の編制表から消されました。

1993年9月30日、正式に海軍から除籍されました。

その後も係留保管されていましたが、2002年11月にポリャールヌイ第10艦船修理工場へ到着しました。

2003年5月30日から7月3日に使用済み核燃料が撤去されました。

2005年10月28日にはスネシュノゴルスク艦船修理工場『ネルパ』へ回航され、博物館への改装が行なわれる事になりました。
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2007年以降、原子炉区画が撤去され、代わりのダミー区画が製造されました。
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2017年2月に再進水する予定でしたが、半年以上遅れ、2017年9月8日になりました。

[ソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは記念艦となる]
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは再び進水した]


当初、「レニンスキー・コムソモール」は、ムルマンスクで保存されている原子力砕氷船「レーニン」の隣で展示される予定でした。
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しかしその後、クロンシュタットフォルトフ島で展示される事になりました。



艦船修理工場『ネルパ』は、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットへの移動の為に準備作業を行ないました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ回航される]

2021年8月19日、浮きドックへ載せられた「レニンスキー・コムソモール」『ネルパ』埠頭を離れました。

近日中にクロンシュタットへの移動を開始します。

記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ回航される

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『タス通信』より
2021年7月22日17時45分配信
【ソヴィエト初の原子力艦K-3はクロンシュタットの博物館の展示品となる準備を進めている】
モスクワ、7月22日/タス通信

プロジェクト627原子力潜水艦のトップK-3「レニンスキー・コムソモール」ムルマンスク州スネシュノゴルスクからクロンシュタットへの移動を準備しており、海軍の栄光博物館の展示品となる。
『タス通信』は木曜日に防衛産業企業体の情報提供者より伝えられた。

「ソヴィエト初の原子力潜水艦K-3レニンスキー・コムソモールは博物館化を完了し、近い内にスネシュノゴルスクからクロンシュタットへの移動に向けた準備を進めています。
そこで伝説的な艦は、フォルトフ島~海軍の栄光博物館の最も重要な展示品となります」

対談者は話した。
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彼によると、原子力艦海軍博物館としての任務を遂行する準備を完全に整えている。
現在、艦隊間移動の詳細へ取り組んでいる。
彼は、原子力潜水艦博物館展示品への改装の為の文書の開発には、プロジェクト627を開発したサンクトペテルブルク機械製造局『マラヒート』が従事した事を想い起こした。

K-3「レニンスキー・コムソモール」は、ソヴィエト初にして世界で第3の原子力潜水艦であり、プロジェクト627「キート」のトップ艦である。





ソヴィエト連邦初の原子力潜水艦であるK-3は、プロジェクト627「キート」巡洋潜水艦(NATOコード名「ノヴェンバー」)の1番艦として、1956年9月24日にモロトフスク(現セヴェロドヴィンスク)第402造船工場(現セヴマシュ)で起工されました。
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1957年10月9日に進水した後に係留試験が始まり、翌1958年6月に終了しました。

1958年7月21日には、ソ連海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ提督、ソ連造船業相ボリス・ブトマが出席し、ソ連邦海軍旗の初掲揚式典が開催されました。
この時点で、K-3は未だ航海試験も始まっていませんでした。

1958年7月3日、工場航行試験をすっ飛ばして、いきなり国家受領試験が始まりました。
翌7月4日10時3分、初めてK-3原子力機関が始動しました。

1958年8月には潜水航行試験が行なわれました。

1958年11月26日から12月2日まで白海で潜航試験が行なわれ、深度310mまで潜航しました。

1958年12月17日、巡洋潜水艦K-3受領証書への署名が行なわれ、ソ連海軍へ納入されました。

しかし、初めての原子力潜水艦という事も有り、色々と問題点が発覚した為、1958年1月には「試験運用」へ移行しました。
プロジェクト627の2番艦以降は、改良型のプロジェクト627Aとして建造されることになりました。

翌1959年も白海で各種試験に従事し、同年10月下旬に、ようやく白海からバレンツ海北方艦隊基地ザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ移動しました。
16-1211i.jpg

1959年11月1日から15日まで初の遠距離航海を行ない、グリーンランド付近まで進出しましたが、浮上時に氷に衝突して損傷しました。

帰港後、1959年12月から1960年5月までセヴェロドヴィンスク「セヴマシュ」で修理と近代化改装を行ない、新たな航法複合体が設置されました。

1960年12月から1961年2月まで「セヴマシュ」で係留試験が行なわれました。

1961年5月26日から8月7日まで航海試験が行なわれ、再びザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ配備されました。

1961年9月17日から31日までカラ海において、北極海での水中航行時の航法複合体の動作試験が行なわれました。
この間、9月20日から24日まで魚雷の実弾射撃を実施しています。

1962年7月4日から21日まで検査航海を行なった後、7月11日から21日まで北極圏航海を行ないました。
16-1211e.jpg
水中航行中に原子炉の冷却循環ポンプが故障し、潜航したまま修理を行なっています。

1962年9月に核燃料棒の不備が発覚し、セヴェロドヴィンスクへ回航されました。

1962年10月9日、「レニンスキー・コムソモール」(レーニン共産党青年団)と命名されました。

1963年2月26日から1965年10月29日まで原子炉の交換と近代化改装が行なわれました。
撤去された核燃料棒はカラ海へ投棄されました。

1965年10月29日から11月7日まで航海試験を行ない、同年11月24日に海軍へ引き渡され、11月29日にはザーパドナヤ・リツァへ戻りました。

1965年12月17日、ソ連の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリン「レニンスキー・コムソモール」を訪れました。

1966年3月23日に白海で氷に衝突して潜望鏡を曲げました。

1966年7月10日から8月29日まで遠距離航海を行ない、大西洋、サルガッソー海、メキシコ湾まで進出し、魚雷発射訓練を行ないました。

1967年3月12日から4月30日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で船体のメンテナンスが行なわれました。
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1967年7月10日から9月11日まで遠距離航海を行ない、地中海へ進出しました。
地中海から戻る途中の9月4日、ノルウェイ海で火災事故を起こし(第1区画から出火し、第2区画に延焼)、乗員39名が死亡しました。
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1967年9月14日から11月5日までセヴェロドヴィンスクで修理が行なわれました。

1968年7月21日から29日までワルシャワ条約機構諸国海軍北方艦隊バルト艦隊の合同演習へ参加しました。

1968年12月8日からポリャールヌイ第10艦船修理工場でオーバーホールが行なわれ、1971年12月28日に復帰しました。

1972年1月にはグレミハ基地へ移動しました。
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1972年10月29日から11月5日まで演習を行ないました。

1973年5月12日から6月1日まで遠距離航海を行ない、大西洋地中海へ進出しました。

1975年2月に第7区画で火災が発生し乗員2名が重傷を負いました。

1975年4月24日から6月13日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1976年1月31日から2月21日までグレミハの浮きドックで定期修理が行なわれました。

同年6月1日から27日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1977年7月25日、「大型潜水艦」に再分類されました。

1977年12月29日からポリャールヌイ第10艦船修理工場で定期修理が始まりました。

1978年1月8日、修理中に火災が発生しました。

1978年12月30日に修理を終えて復帰しました。

1982年5月25日から6月25日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1985年1月から9月末までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1985年には、「オケアン-85」、「大西洋-85」、「北方-85」といった大規模演習へ参加しました。

1985年7月2日から27日までノルウェイ海で哨戒活動を実施しました。

1986年4月からポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が始まりました。

しかし修理は完了する事無く、1987年10月17日には海軍の戦闘編制から除外されました(事実上の退役)。

1988年9月9日には練習船となり、グレミハ基地に固定されました。

1989年3月14日、B-3と改称されました。

1991年には北方艦隊の編制表から消されました。

1993年9月30日、正式に海軍から除籍されました。

その後も係留保管されていましたが、2002年11月にポリャールヌイ第10艦船修理工場へ到着しました。

2003年5月30日から7月3日に使用済み核燃料が撤去されました。

2005年10月28日にはスネシュノゴルスク艦船修理工場『ネルパ』へ回航され、博物館への改装が行なわれる事になりました。
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2007年以降、原子炉区画が撤去され、代わりのダミー区画が製造されました。
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2017年2月に再進水する予定でしたが、半年以上遅れ、2017年9月8日になりました。

[ソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは記念艦となる]
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは再び進水した]


当初、「レニンスキー・コムソモール」は、ムルマンスクで保存されている原子力砕氷船「レーニン」の隣で展示される予定でした。
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しかしその後、クロンシュタットフォルトフ島で展示される事になりました。



「レニンスキー・コムソモール」は、近い内にクロンシュタットへ回航されるようです。

ソヴィエト海軍の原子力潜水艦K-19の原子炉事故から60年・・・

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『ロシア通信社ノーボスチ』より
2021年7月4日2時30分配信
【ソヴィエト潜水艦K-19の1961年7月4日の事故】

1961年7月4日、北大西洋ソヴィエト弾道ミサイル搭載原子力潜水艦K-19で核動力装置の事故が発生した。
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K-19は最初のプロジェクト658潜水艦であり、第18中央設計局(現『海洋工学中央設計局ルビーン』)により開発された。
それは1958年にセヴェロドヴィンスク(アルハンゲリスク州)第402工場(現『生産合同・北方機械製造事業』)で起工され、1959年に進水し、1960年11月12日に就役した。
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1961年6月、原子力潜水艦北方艦隊へ加入した。

K-19が有する主動力装置には2基の水冷原子炉が含まれ、艦の船体中部へ全く平面に互いに連続して配置されていた。
これは最初のソヴィエトロケット原子力潜水艦であった。
その兵装は、魚雷と3基の水上発射大陸間弾道ミサイルで構成されていた。

この原子力艦は記録的な速さで建造され、ソヴィエト連邦は、既に原子力ロケット潜水艦「ジョージ・ワシントン」を軍備として保有していたアメリカ合衆国の挑戦に答えた。

1961年夏、K-19は大規模な艦隊演習『北極の輪』へ参加した。
大西洋からノルウェー海を通過して北氷洋へ入り、仮想敵の行動を模し、ソヴィエト社会主義共和国連邦の沿岸へ接近し、その後、氷の下の「ソヴィエトの軍事空間」から直接に「ミサイル攻撃」を実施する必要が有った。
目的は、対潜防衛の有効性とアメリカ原子力潜水艦との戦闘能力の点検に在った。

演習中、探知を回避する為、K-19は流氷の下へ入った。
そのコースは、氷に覆われたデンマーク海峡を通ってグリーンランドアイスランドの間を走破した。
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航海16日目の1961年7月4日、ノルウェーヤン・メイエン島に位置するアメリカ海軍基地から100マイル離れた北大西洋上の深度100メートルに居た潜水艦で、原子炉区画の警報が作動した。

後に解明されたように、熱せられた蒸気が圧力変換器のチューブの1つを突き破った。
水位が下がった結果、冷却水循環を保障する双方のポンプが詰まり、原子炉の活動ゾーンの急速な加熱が始まり、不可避の爆発の恐れが出てきた。
激化する大惨事の中で、如何なる標準の措置も講じる事は不可能であった。

K-19艦長は、原子炉から放射線が漏れているという報告を受け、原子炉は制御システムに応答しなかった。

原子炉の事故は、潜水艦を爆発させ、その後に地球環境災害~世界の大洋の海水の放射性中毒を引き起こすかもしれなかった。

潜水艦長は浮上を指示し、手元の材料で冷却システムの損傷部分のパイプラインを複製し、取り付ける決定を下した。
この2時間で、放射線被曝ゾーンに居た防護服の無い潜水艦乗員(この時、それは無かった)は、素手で、放射線からの防護の無い軍用ガスマスクで冷却システムを取り付け、潜水艦を救った。
将来的には、このような複製された回路が全ての原子力潜水艦に登場した。

事故処理中、人員は再三に渡り放射線被曝ゾーンへ長時間滞在し、42名の乗組員が大量の放射線を受け、活動性ガスとエアゾールが拡散された結果、潜水艦の有人区画の放射線環境は複雑化した。
事故発生から4時間半が経過し、放射線照射を受けた船員には、放射線病の兆候が表れ始めた~15名が重度、11名が中度、16名が軽度。

長距離送信機のアンテナが損傷を受け、潜水艦長が事故を艦隊司令部へ伝える事が出来なかったが故、状況は複雑化した。
このような事になった為、艦長ニコライ・ザテエフは、そこへ行くには3日以上が必要であるが、基地へ戻る決定を下した。
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暫くして、非常用送信機の助力により、演習へ参加し、救助に来た2隻の中型ディーゼル潜水艦との通信に成功した。
潜水艦の1隻は艦隊本部との通信に成功し、原子力潜水艦の事故を伝えた。
7月4日夕方までに、K-19から2隻の潜水艦へ65名の船員が避難し、更に1日経った後には全ての乗組員がそこから去った。
これより前、原子力ロケット艦のメカニズムは非稼働状態となった。

数日後、艦隊本部から派遣された医療グループの乗る水上艦が事故現場へ送り込まれ、K-19は曳航されて基地へ移送された。
この時、原子力潜水艦の乗組員が避難した2隻のディーゼル潜水艦は、魚雷発射管の射線上にK-19を保持した~もしも外国軍がそこへの侵入を試みた場合、それは撃沈されただろう。

事故から87時間後、K-19乗組員全員が入院した。
最大限の放射線量を受けた8名は、1週間以内に死亡した。
2人はレニングラード(現サンクトペテルブルク)に埋葬され、6名はモスクワクジミン墓地へ埋葬された。
残りは、長期間にわたる治療を受けた。

事故へ対処した乗組員の行動は、政府委員会により正当と認められ、大勢(死後を含む)が勲章とメダルを受けた。

原子力潜水艦K-19は修理へ送られた。
K-19は、完全に除染され、再建された後、1965年に再就役した。
それは、水中からミサイルを発射する為に改造された。
同艦は、ソヴィエト社会主義共和国連邦戦略潜水艦部隊の一部であり続けた。

しかし、1961年の事故の後、K-19は船員から「ヒロシマ」という綽名と「不幸な」艦の評判を得た。
それは事故、火災を起こし、水上や水中での衝突を免れなかった。

1969年11月15日、K-19バレンツ海テリベルスキー岬の横断中、ソヴィエト原子力艦の秘密裏の追跡を行なう事を試みたアメリカ原子力潜水艦「ガトー」と衝突した。
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双方の艦が損傷を受けた。

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1972年2月24日、ニューファンドランド北東のK-19で火災が発生し、28名が死亡した。
1972年の緊急事態の後、潜水艦セヴェロドヴィンスク市艦船修理工場『ズヴェズドーチカ』へ送られ、そこで更新され、近代化された。
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修理後にK-19は、更に何度かの戦闘勤務へ出た。

1979年、原子力潜水艦ロケット巡洋艦としての重要性を失い、通信潜水艦へ改造された。
1990年、ソヴィエト社会主義共和国連邦海軍から除籍された。

2003年、それは解体の為、艦船修理工場『ネルパ』(スネシュノゴルスク)へ送り届けられた。
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司令塔のみが保管された。
2018年7月、K-19の司令塔は、モスクワ郊外のピャロフスキー貯水池の沿岸へ設置された。
それは、2013年からロシアに居住しているリトアニアの実業家ウラジーミル・ロマノフ(1960年代末にK-19でコックとして勤務した)が工場から購入した。
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長い間、1961年のK-19の事故は秘密とされていた。
K-19の悲劇は1990年代に知られるようになった。
新聞の出版物や書籍が出された。
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2002年、ハリソン・フォードリーアム・ニーソン主演のアメリカの映画『K-19.残された未亡人』(K-19:The Widowmaker)が一般公開された。


2006年、元ソヴィエト社会主義共和国連邦大統領ミハイル・ゴルバチョフは、ノーベル賞委員会ソヴィエト原子力潜水艦K-19乗組員の平和賞へのノミネートを提案した。

1998年、電力会社『モスエネルゴ』の資金により、モスクワクジミン墓地へ埋葬されたK-19乗組員の偉業を記念した記念碑が建てられた。
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サンクトペテルブルクのマラヒート設計局は小型原子力潜水艦ゴルゴーナを開発する

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『インタファクス-軍事ニュース出張所(AVN)』より
2021年6月22日7時0分配信
【ロシアは原子力小型潜水艦「ゴルゴーナ」を開発する-設計局『マラヒート』】
モスクワ、6月22日、インタファクス

設計局『マラヒート』は、多目的小型原子力潜水艦「ゴルゴーナ」の外観を形成した。
同社の2020年の年次報告書では、こう述べられている。

「創意を発揮して技術的提案を開発し、小さな排水量の原子力多目的潜水艦ゴルゴーナと、非大気依存発電装置を有する小型通常動力潜水艦セルヴァールの外観が決まりました」
文書では、こう述べられた。

以前に『マラヒート』は、小型潜水艦プロジェクトNo.865「ピラーニャ」を開発した。
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このタイプの潜水艦は合計で2隻建造された。
1999年、これらは海軍から除籍された。
『統合造船業営団』が伝えたように、潜水艦は6名までの戦闘泳者の収容が可能であり、「戦闘泳者を上陸、帰還させ、沿岸や浅瀬で哨戒勤務へ就き、船及び単独の水上艦と戦い、機雷源を敷設し、偵察を行なう」為に意図されている。

設計局は更に、潜水艦の近代化ヴァージョン~潜水艦「ピラーニャ-T」を開発し、特に兵器の備蓄は5倍に増加した。
その後、『マラヒート』は更に、小型潜水艦P-550プロジェクトを開発した。
「ピラーニャ」と比べ、全長は1.5倍に増加し~30メートルから45メートル、限界潜航深度もまた、200メートルから300メートルに増加した。
潜水艦ミサイル兵器の搭載能力を得る。

更に、原子力水中無人機「ポセイドン」の開発も伝えられている。
現時点で、それは試験が行なわれている。
その搭載艦は、原子力潜水艦「ベルゴロド」にならなければならない。




海洋機械製造局『マラヒート』により設計されたプロジェクト865「ピラーニャ」小型潜水艦は、レニングラード『アドミラルティ造船所』で1980年代に2隻が建造されました。

MS-520:1984年7月15日起工/1986年8月20日進水/1988年12月30日就役
MS-521:1987年12月1日起工/1990年5月31日進水/1990年12月25日就役

2隻ともバルト艦隊へ配備され、当初はラトビアリエパヤ港に駐留していましたが、同国の分離独立とソヴィエト連邦解体に伴い、1992年4月にクロンシュタット港へ配置換えされました。
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1994年9月1日には2隻とも乗組員が解散し、戦闘編制から除外され、事実上予備役となりました。

1996年7月31日付で2隻ともロシア海軍から除籍され、1998年以降に解体されました。


その後、『マラヒート』は、「ピラーニャ」の発展型となる小型潜水艦の設計案を提示しています。
ただし、何処からも発注は有りませんが・・・

「ピラーニャ-T」
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小型潜水艦P-550
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小型潜水艦P-750B
[サンクトペテルブルクのマラヒート設計局は閉サイクルガスタービン非大気依存発電装置を持つ潜水艦P-750Bを開発する]

これまでは通常動力艦でしたが、今度は、小型原子力潜水艦「ゴルゴーナ」の設計案の作成が進められています。

プロジェクト971原子力巡洋潜水艦とプロジェクト949A原子力水中巡洋艦は今後もロシア海軍に留まる

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『ロシア通信社ノーボスチ』より
2021年3月19日0時28分配信
【海軍で最も多い原子力潜水艦は新たな兵器を搭載する】
モスクワ、3月19日-ロシア通信社ノーボスチ

ロシア海軍で最も多い多目的原子力潜水艦プロジェクト949A及び971の勤務時期は2倍に増加し、新たな兵器を搭載する。
海軍総司令官ニコライ・エフメノフ『潜水艦船員の日』の前に言った。

新たな兵器として、有翼ミサイル「カリブル」、そして更には現在開発中の極超音速の「ツィルコン」を使用できる。
これらのプロジェクトの潜水艦の勤務期間は約30年になる。

「プロジェクト949A、971原子力潜水艦の修理と近代化は継続しております。
これらの潜水艦は、新たな兵器及び機器設備の特性を持つようになると確信をもって申し上げる事が出来ます。
これは、世界の大洋の現代の情勢という条件下で任務を遂行するこれら潜水艦の効率を高めます。
無論言うまでも無く、プロジェクト949A及び971潜水艦の勤務期間は2倍に増加します」
エフメノフ
新聞『クラースナヤ・ズヴェズダー』のインタビューに対し、こう話した。

彼は、このような作業は、計画-設計組織、艦船修理設備を持つ企業が参加して既に進められている事を強調した。

「その修理と近代化に使用される近代化の余裕と特別な技術的解決策は、これらの艦を、より尊重して扱う事を可能にします」
総司令官は話した。

プロジェクト949A「アンテイ」潜水艦は24000トンの排水量を有し、全長は154メートル、幅18メートル以上、32ノットの水中速力の発揮と、深度600メートルへの潜航が可能である。
敵の航空母艦の破壊の意図を帯びている潜水艦は有翼ミサイル「グラニート」で武装し、更には6門の魚雷発射管を持つ。
サンクトペテルブルク中央設計局『ルビーン』プロジェクト949A「アンテイ」原子力潜水艦の為に、より現代的なミサイル複合体「オーニクス」及び「カリブル」への再装備プログラムを開発した。

プロジェクト971大型原子力潜水艦は、潜水艦及び艦グループとの戦闘、敵地上施設へ打撃を与える為に意図されている。
セヴェロドヴィンスクでは1980~90年代に、いわゆる「野獣シリーズ」が建造された~軍艦「バルス」、「パンテーラ」、「レオパルド」、「ゲパルド」、「ヴェプリ」、「チグル」、「ヴォルク」
同じプロジェクトの潜水艦は、更にコムソモリスク・ナ・アムーレ『レーニン共産党青年団記念工場』(現『アムール造船工場』)でも建造された。



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ロシア・ソ連潜水艦総合情報サイト『ディープストーム』より
【プロジェクト971「シチューカ-B」】

プロジェクト971「シチューカ-B」原子力巡洋潜水艦(NATOコード名「アクラ」級)は、1985年から2001年に掛けて14隻がソ連/ロシア海軍へ就役し、更に1隻がインド海軍へリースする為に建造され、2012年に引き渡されています。
既に4隻が退役しており、現在、ロシア海軍に在籍しているのは10隻です。

[コムソモリスク・ナ・アムーレ(アムール造船工場)建造艦]太平洋艦隊へ配備
・K-284(工場番号501):1993年4月13日に「アクラ」と命名
1983年11月11日起工/1984年6月22日進水/1984年12月30日納入/1985年1月15日就役
1994年頃退役、2004~2008年に極東艦船修理工場『ズヴェズダー』で解体

・K-263(工場番号502):1993年4月13日に「デリフィン」と命名、2002年2月9日に「バルナウル」と改名
1985年5月9日起工/1986年5月28日進水/1987年12月30日納入/1988年1月11日就役
2008年頃退役、2018年以降に極東艦船修理工場『ズヴェズダー』で解体

・K-322(工場番号513):1993年4月13日に「カシャロート」と命名
1986年9月5日起工/1987年7月18日進水/1988年12月30日納入/1989年3月1日就役
2019年10月9日除籍、2020年以降に解体

・K-391(工場番号514):1993年4月13日に「キート」と命名、1997年9月1日に「ブラーツク」と改名
1988年2月23日起工/1989年4月14日進水/1989年12月29日納入/1990年1月13日就役

・K-331(工場番号515):1993年4月13日に「ナルヴァル」と命名、2001年1月24日に「マガダン」と改名
1989年12月28日起工/1990年6月23日進水/1990年12月30日納入/1991年1月23日就役

・K-419(工場番号516):1993年4月13日に「モルシュ」と命名、1998年1月29日に「クズバス」と改名
1991年7月28日起工/1992年5月18日進水/1992年12月31日納入/1993年1月30日就役

・K-295(工場番号517):1993年4月13日に「ドラコン」と命名、1999年8月30日に「サマーラ」と改名
1993年11月7日起工/1994年7月1日進水/1995年7月17日納入/1995年7月29日就役

・K-152(工場番号518):1993年4月13日に「ネルパ」と命名
1993年起工/2006年6月24日進水/2009年12月28日就役
2012年1月23日、インド海軍へリース、「チャクラ」と改名

・工場番号519号艦(「イルビス」?)
1994年起工
2007年、工事進捗度60パーセントで建造停止

・工場番号520号艦
1990年起工
1992年3月18日、工事進捗度25パーセントで建造中止、その後に解体

・工場番号521号艦
1991年起工
1992年3月18日、工事進捗度12パーセントで建造中止、その後に解体

[セヴェロドヴィンスク(セヴマシュ)建造艦]北方艦隊へ配備
・K-480(工場番号821):1991年7月24日に「バルス」と命名、1998年4月27日に「アク・バルス」と改名
1985年2月22日起工/1988年4月16日進水/1988年12月29日納入・就役
2002年10月1日除籍、2010年に艦船修理センター『ズヴェズドーチカ』で解体

・K-317(工場番号822):1990年10月10日に「パンテーラ」と命名
1986年11月6日起工/1990年5月21日進水/1990年12月27日納入/1990年12月30日就役

・K-461(工場番号831):1991年6月25日に「ヴォルク」と命名
1987年11月14日起工/1991年6月11日進水/1991年12月29日納入/1992年1月27日就役

・K-328(工場番号832):1991年1月24日に「レオパルド」と命名
1988年10月26日起工/1992年6月28日進水/1992年12月30日納入/1993年1月15日就役

・K-154(工場番号833):1991年7月24日に「チグル」と命名
1989年9月10日起工/1993年6月26日進水/1993年12月29日納入/1994年1月5日就役

・K-157(工場番号834):1993年4月6日に「ヴェプリ」と命名
1990年7月13日起工/1994年12月10日進水/1995年11月25日納入/1995年12月30日就役

・K-335(工場番号835):1993年2月22日に「ゲパルド」と命名
1991年9月23日起工/1999年9月17日進水/2001年12月3日納入/2001年12月4日就役

・K-337(工場番号836):1994年1月25日に「クーグアル」と命名
1992年8月18日起工
1998年1月22日建造中止
2003年以降に解体(原子炉などはプロジェクト955「ボレイ」戦略用途原子力ロケット水中巡洋艦「ユーリー・ドルゴルーキー」へ流用)

・K-333(工場番号837):1995年2月7日に「ルイシ」と命名
1993年8月31日起工
1997年10月6日建造中止
2004年以降、解体(原子炉などはプロジェクト955「ボレイ」戦略用途原子力ロケット水中巡洋艦「アレクサンドル・ネフスキー」へ流用)

この内、「レオパルド」、「ヴォルク」、「サマーラ」、「ブラーツク」セヴェロドヴィンスク艦船修理センター『ズヴェズドーチカ』で大規模な近代化改装(プロジェクト971M)を行ないます。
[ロシア海軍北方艦隊のプロジェクト971M原子力巡洋潜水艦レオパルドの近代化改装は2021年後半に完了する]
[ロシア海軍北方艦隊の原子力巡洋潜水艦ヴォルクの近代化改装は2023年に完了する]
[ロシア海軍太平洋艦隊の親衛原子力巡洋潜水艦サマーラは2023年に近代化改装を完了する]
[ロシア海軍太平洋艦隊の原子力巡洋潜水艦ブラーツクとサマーラの近代化改装は2020年秋に始まる]

その他の艦も、寿命延長などの部分的な近代化改装を行ない、今後も現役に留まります。
[ロシア海軍北方艦隊の親衛原子力巡洋潜水艦ゲパルトはオーバーホールを終えて復帰した]
[近代化された原子力巡洋潜水艦クズバスはロシア海軍太平洋艦隊へ復帰した]
[近代化改装された原子力巡洋潜水艦ヴェプリはロシア海軍北方艦隊へ復帰した]
[ロシア海軍北方艦隊の原子力巡洋潜水艦チグルのオーバーホールは2022年に完了する]
[ロシア海軍太平洋艦隊の原子力巡洋潜水艦マガダンの近代化改装は2022年に完了する]


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ロシア・ソ連潜水艦総合情報サイト『ディープストーム』より
【プロジェクト949A「アンテイ」】

プロジェクト949A「アンテイ」原子力水中巡洋艦(NATOコード名「オスカーII」)は、1986年から1996年に掛けて11隻がソ連/ロシア海軍へ就役しました。
2隻が退役、1隻が事故で沈没し、現在、ロシア海軍に在籍しているのは8隻です。

K-148(工場番号617):1993年4月6日に「クラスノダール」と命名。北方艦隊へ配備
1982年7月22日起工/1985年3月3日進水/1986年9月30日納入/1986年10月12日就役
1998年7月28日退役、2012年11月以降に2010年に艦船修理工場『ネルパ』で解体

K-173(工場番号618):1993年4月13日に「クラスノヤルスク」と命名。太平洋艦隊へ配備
1983年8月4日起工/1986年3月27日進水/1986年12月31日就役
1999年4月13日退役、2014年秋以降に『北東修理センター』で解体

K-132(工場番号619):1993年4月13日に「イルクーツク」と命名。太平洋艦隊へ配備
1985年5月8日起工/1987年12月29日進水/1988年12月30日納入/1989年1月4日就役

K-119(工場番号636):1993年4月6日に「ヴォロネジ」と命名。北方艦隊へ配備
1986年2月25日起工/1988年12月16日進水/1989年12月29日就役

K-410(工場番号637):1993年4月6日に「スモレンスク」と命名。北方艦隊へ配備
1986年12月9日起工/1990年1月20日進水/1990年12月22日就役

K-442(工場番号638):1993年4月13日に「チェリャビンスク」と命名。太平洋艦隊へ配備
1987年5月21日起工/1990年6月18日進水/1990年12月28日納入/1990年12月29日就役

K-456(工場番号649):1992年2月15日に「カサトカ」と命名、1996年6月20日に「ヴィリュチンスク」と改名、2011年4月28日に「トヴェリ」と改名。太平洋艦隊へ配備
1988年2月9日起工/1991年6月28日進水/1992年8月18日納入/1992年8月29日就役

K-266(工場番号650):1993年4月6日に「オリョール」と命名。北方艦隊へ配備
1989年1月19日起工/1992年5月22日進水/1992年12月30日納入/1993年1月20日就役

K-186(工場番号651):1993年4月13日に「オムスク」と命名。太平洋艦隊へ配備
1989年7月13日起工/1993年5月8日進水/1993年12月15日就役

K-141(工場番号662):1993年4月6日に「クルスク」と命名。北方艦隊へ配備
1990年3月22日起工/1994年5月16日進水/1994年12月30日納入/1995年1月20日就役
2000年8月12日に事故で爆沈。2001年9月に引き揚げ、2002年4月以降に艦船修理工場『ネルパ』で解体

K-150(工場番号663):1993年4月13日に「トムスク」と命名。太平洋艦隊へ配備
1991年8月27日起工/1996年7月20日進水/1996年12月30日就役

K-329(工場番号664):1993年4月6日に「ベルゴロド」と命名。
1992年7月24日起工、1997年に工事進捗度75パーセントで建造中止
2012年12月20日に特殊用途原子力潜水艦プロジェクト09852として再起工/2019年4月23日進水

K-135(工場番号675):1995年2月7日に「ヴォルゴグラード」と命名。
1993年9月2日起工、1998年に工事進捗度49パーセントで建造中止、2012年以降に解体

K-160(工場番号676):1995年頃に「バルナウル」と命名。
1993年頃起工、1998年に工事進捗度40パーセントで建造中止、2012年以降に解体

北方艦隊太平洋艦隊949Aは、寿命を延長するなどの近代化改装が順次行なわれています。
[オスカーII級ミサイル原潜「ヴォロネジ」は近代化改装を終えた]
[オスカーII級原潜スモレンスクは修理を終えて基地へ戻った]
[ロシア海軍北方艦隊の原子力水中巡洋艦オリョールは寿命延長近代化改装を終えて出航した]
[ロシア海軍太平洋艦隊の原子力水中巡洋艦トムスクは任務を終えてカムチャツカへ帰港した]
[近代化改装を終えた原子力水中巡洋艦オムスクはロシア海軍太平洋艦隊へ復帰した]

太平洋艦隊「イルクーツク」は、ミサイル発射機を交換して「カリブル」、「オーニクス」、「ツィルコン」を搭載するプロジェクト949AM改装が行なわれています。
[ロシア海軍太平洋艦隊の原子力水中巡洋艦イルクーツクは近代化改装により合計48基の巡航ミサイル(カリブル/オーニクス/ツィルコン)を搭載する]