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退役したロシア海軍北方艦隊の原子力大型潜水艦スヴィトイ・ダニール・モスコフスキーは解体される

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『タス通信』より
2022年11月18日9時42分配信
【情報筋は原子力潜水艦「スヴィトイ・ダニール・モスコフスキー」が処分へ向かったと述べた】
モスクワ、11月18日/タス通信

北方艦隊プロジェクト671RTK原子力潜水艦「スヴィトイ・ダニール・モスコフスキー」は、ロシア北東部の企業の内の1つでの処分へと向かった。
『タス通信』は造船業界の情報筋より伝えられた。

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「原子力潜水艦スヴィトイ・ダニール・モスコフスキーは、先週にその最後の海上への出航を行ないました~これは更なる処分の為、我が国北方の艦船修理企業の内の1つへ移管されます」
彼は話した。

対談者は、原子力潜水艦の処分の為の作業は未だ始まっていないと通知した。

『タス通信』は、この情報を公式に確認していない。

潜水艦K-414(その後にB-414)(1996年から「スヴィトイ・ダニール・モスコフスキー」)はレニングラードで建造され、1990年に進水した。
1994年には浮上する為、他の原子力潜水艦と共に北極点を訪れた。
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潜水艦海軍旗は10月28日に降ろされた。



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ロシア・ソ連潜水艦総合情報サイト『ディープストーム』より
【B-414「ダニール・モスコフスキー」、プロジェクト671RTMK】

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プロジェクト671RTM「シチューカ」巡洋潜水艦(「ヴィクターIII」)K-414は、1988年12月1日にレニングラード(現サンクトペテルブルク)『アドミラルティ造船所』で起工され、1990年8月31日に進水しました。

1990年9月にロシア内陸水路経由で白海沿岸のセヴェロドヴィンスクへ回航されました。

1990年12月1日~17日まで洋上試験(国家試験)を行ないました。

1990年12月30日に受領証書へ署名され、翌12月31日に海軍旗初掲揚式典を開催し、正式にソヴィエト連邦海軍へ就役しました。

K-414671RTM『アドミラルティ造船所』建造艦(計13隻就役)の12番艦であり、671RTM最終グループである671RTMK5隻の内の4隻目です。
(この他に671RTM極東『アムール造船工場』でも13隻建造)

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1991年3月14日、赤旗北方艦隊北方艦隊第1潜水艦小艦隊第6潜水艦師団へ編入され、ザーパドナヤ・リツァ基地(ザオゼルスク)へ配備されました。
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1991年10月、アラ・グバ(ヴィジャエヴォ)基地へ移転しました。
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1992年6月3日付で「原子力大型潜水艦」に艦種変更され、これに伴いB-414と改称されました。

1992年11月から翌1993年までポリャールヌイ第10艦船修理工場でドック修理が行なわれました。
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1994年7月14日~8月12日に掛けて667BDRM戦略用途原子力水中巡洋艦K-18と共に北極航海を行ない、この間7月25日には北極点へ浮上しました。

1994年10月1日付で第7潜水艦師団へ転属しました。

1996年9月18日付で「スヴィトイ・ダニール・モスコフスキー」(聖モスクワ公ダニール)と命名されました。
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1998年5月~8月にポリャールヌイ『第10艦船修理工場』でドック修理が行なわれました。

2001年8月~10月には原子力大型潜水艦B-448「タンボフ」と共に戦闘当直へ就き、洋上パトロールを行ないました。

2003年5月~6月には「タンボフ」と共に北方艦隊の演習へ参加しました。

2005年7月31日の「スヴィトイ・ダニール・モスコフスキー」
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2006年7月30日にセヴェロモルスクで開催されたロシア海軍記念日観艦式へ参加しました。
[ヴィクターIII型原潜「ダニル・モスコフスキー」その1]
[ヴィクターIII型原潜「ダニル・モスコフスキー」その2]
[ヴィクターIII型原潜「ダニル・モスコフスキー」その3]

2006年9月6日、洋上行動中に火災事故を起こし、乗員2名が死亡しました。
[「ダニル・モスコフスキー」火災事故(2006年9月6日)]

その後、スネシュノゴルスク艦船修理工場『ネルパ』へ回航され、2009年2月まで修理が行なわれました。
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復帰後、2009年7月~8月に戦闘勤務へ就きました。

2010年にも戦闘勤務へ就きました。
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2012年7月29日にセヴェロモルスクで開催されたロシア海軍記念日観艦式へ参加しました。
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2012年8月にロスリャコヴォ大型浮きドックPD-50へ入渠しました。
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2012年11月18日、バレンツ海で遭難した漁船を救助しました。
[ヴィクターIII級原潜ダニール・モスコフスキーは漁船を救助した]
[ヴィクターIII級原潜ダニール・モスコフスキーは遭難漁船の乗員を沿岸へ送り届けた]

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2013年以降は洋上へ出る事も無くなり、2015年12月1日には乗組員が削減されました。
[ロシア海軍はヴィクターIII級原潜を近代化しない]

2018年夏ごろに処分(解体)が決定され、2019年4月に解体の為の入札が行なわれました。

その後もアラ・グバへ係留されていました。

『ズヴェズダーテレビ』より
2021年5月23日10時15分配信
【北極点の征服者:氷層の突破は原子力潜水艦「ダニール・モスコフスキー」へどう影響したか】

2022年10月28日に海軍旗を降納しました。

11月12日、スネシュノゴルスク艦船修理工場『ネルパ』へ回航されました。

今後、「スヴィトイ・ダニール・モスコフスキー」『ネルパ』で解体されます。


現在、ロシア海軍で現役に留まっている671RTMKは、B-138「オブニンスク」、B-448「タンボフ」の2隻のみです。
(2隻とも艦船修理工場『ネルパ』で近代化改装中)
ロシア・ソ連潜水艦総合情報サイト『ディープストーム』より
【プロジェクト671RTM及びRTMK「シチューカ」(NATOコード名「ヴィクター-III」)】
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ロシア海軍北方艦隊の大型原子力潜水艦コストロマの准士官が死亡した

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『SeverPost』より
2022年10月21日8時27分配信
【北方艦隊の原子力潜水艦の准士官の遺体は海上で発見された】

バレンツ海原子力潜水艦で、無線技術戦闘部門の准士官が行方不明となった。
数時間の捜索後、軍人は死体で発見された。
原因は不明である。

『VCK-OGRU』の情報筋によると、前日、監視所で当直員が交代した際、彼らはロシア連邦軍軍事部隊10438の軍人、ボリス・ドロフェーエフ准士官が居ない事を明らかにした。

ドロフェーエフは、大型原子力潜水艦B-276「コストロマ」の無線技術戦闘部門の技術者であった。
彼はカラシニコフ小銃で武装して潜水艦で勤務していたとテレグラムチャンネル『VCK-OGRU』は記している。

准士官の同僚は潜水艦全体を捜索したが、軍人は見つからなかった。
更に、ドロフェーエフ潜水艦から離れていなかったことが明らかになった。
現場へ潜水士が呼ばれた。

10月19日正午頃、バレンツ海アラ湾海域で潜水士がドロフェーエフ准尉の遺体を発見した。
死因は調査中である。



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プロジェクト945巡洋潜水艦の2番艦K-276は、ロシア内陸部ニジニ・ノヴゴロド(旧ゴーリキー)『クラースノエ・ソルモヴォ』造船所で1984年4月21日に起工され、1986年7月26日に進水しました。

1986年8月15日から9月5日まで内陸水路経由で白海沿岸のセヴェロドヴィンスクへ回航され、同地に在る『クラースノエ・ソルモヴォ』造船所の支所で最終艤装が行なわれました。
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1987年10月に白海で航行試験を行なった後、同年10月27日にソ連海軍へ納入され、1987年11月4日に海軍旗初掲揚式典を開催し、正式に就役しました。

1987年11月16日にザーパドナヤ・リツァ基地へ到着し、11月30日に北方艦隊第1潜水艦小艦隊第6潜水艦師団へ編入されました。
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1988年8月27日から9月6日まで実施された第1潜水艦小艦隊の演習へ参加しました。

1988年9月~11月にバレンツ海で戦闘勤務に就きました。

1989年8月~11月にバレンツ海で戦闘勤務に就き、この間に何度か外国の水上艦と潜水艦を追跡しました。

1990年6月~9月にバレンツ海で戦闘勤務に就き、この間に何度か外国の水上艦と潜水艦を追跡しました。

1991年5月~7月にバレンツ海で戦闘勤務に就きした。

1991年6月20日付でアラ湾(ヴィジャエヴォ)へ移転しました。
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バレンツ海で戦闘勤務中の1992年2月11日にアメリカ海軍原子力潜水艦SSN-689「バトン・ルージュ」と衝突しました。
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1992年3月28日から1993年6月29日までスネシュノゴルスク艦船修理工場『ネルパ』で修理が行なわれました。
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修理中の1992年6月3日付で「原子力大型潜水艦」に類別変更された事に伴い、B-276に改称されました。

1993年4月6日に「クラブ」と命名されました。

修理完了後、1993年秋にバレンツ海で戦闘勤務を再開しました。

1994年10月に第7潜水艦師団へ転属しました。

1994年4月~6月にバレンツ海で戦闘勤務に就きました。

1996年8月に北方艦隊の演習へ参加しました。

1996年11月15日付で「コストロマ」と改名されました。

1997年3月~4月に実施された北方艦隊の演習へ参加しました。

1998年4月に北方艦隊の演習へ参加しました。

2000年に予備役へ編入され、修理待ちとなりました。
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2003年12月24日にポリャールヌイ第10艦船修理工場へ到着しました。
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その後、スネシュノゴルスク艦船修理工場『ネルパ』へ回航され、修理が開始されました。
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2008年に修理を完了して艦隊へ復帰しました。
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2013年以降、プロジェクト945原子力潜水艦の近代化改装の話が出てきました。
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[ロシア海軍はシエラ級原潜を復帰させる]
[近代化改装後のシエラ級原潜は第4世代原潜に匹敵する]
[ロシア海軍は新たなチタン製原潜の建造を計画していないが4隻のシエラI/II級原潜は近代化される]

945の1番艦「カルプ」は、2014年5月から近代化改装が始まりましたが、その後、工事は中断しました。
[シエラI級原潜カルプの近代化改装を中止する決定は下されていない]
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「コストロマ」は現在もロシア海軍に在籍していますが、最近は洋上で行動する事は殆ど無いようです。

記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットの海軍栄光博物館への輸送を完了した


『ズヴェズダーテレビ』より
2022年10月13日12時38分配信
【潜水艦K-3の艦首部分はクロンシュタットの海軍栄光博物館へ送り届けられた】

ソヴィエト初の原子力潜水艦 K-3「レニンスキー・コムソモール」は 、クロンシュタット海軍栄光博物館への輸送の為、2分割された。

その後、潜水艦は再び結合され、博物館の展示場でその全体が現れる。


『ズヴェズダー』は、上空を飛行するクワッドローターから見た映像を公開している。
この映像は、巨大な船体を輸送し、海軍栄光博物館の建物へ輸送する困難な過程がどのように行われたのかを俯瞰で示している。


以前、原子力潜水艦「レニンスキー・コムソモール」の輸送の最終段階がクロンシュタットで行われたと伝えられた。



ソヴィエト連邦初の原子力潜水艦であるK-3は、プロジェクト627「キート」巡洋潜水艦(NATOコード名「ノヴェンバー」)の1番艦として、1956年9月24日にモロトフスク(現セヴェロドヴィンスク)第402造船工場(現セヴマシュ)で起工されました。
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1957年10月9日に進水した後に係留試験が始まり、翌1958年6月に終了しました。

1958年7月21日には、ソ連海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ提督、ソ連造船業相ボリス・ブトマが出席し、ソ連邦海軍旗の初掲揚式典が開催されました。
この時点で、K-3は未だ航海試験も始まっていませんでした。

1958年7月3日、工場航行試験をすっ飛ばして、いきなり国家受領試験が始まりました。
翌7月4日10時3分、初めてK-3原子力機関が始動しました。

1958年8月には潜水航行試験が行なわれました。

1958年11月26日から12月2日まで白海で潜航試験が行なわれ、深度310mまで潜航しました。

1958年12月17日、巡洋潜水艦K-3受領証書への署名が行なわれ、ソ連海軍へ納入されました。

しかし、初めての原子力潜水艦という事も有り、色々と問題点が発覚した為、1958年1月には「試験運用」へ移行しました。
プロジェクト627の2番艦以降は、改良型のプロジェクト627Aとして建造されることになりました。

翌1959年も白海で各種試験に従事し、同年10月下旬に、ようやく白海からバレンツ海北方艦隊基地ザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ移動しました。
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1959年11月1日から15日まで初の遠距離航海を行ない、グリーンランド付近まで進出しましたが、浮上時に氷に衝突して損傷しました。

帰港後、1959年12月から1960年5月までセヴェロドヴィンスク「セヴマシュ」で修理と近代化改装を行ない、新たな航法複合体が設置されました。

1960年12月から1961年2月まで「セヴマシュ」で係留試験が行なわれました。

1961年5月26日から8月7日まで航海試験が行なわれ、再びザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ配備されました。

1961年9月17日から31日までカラ海において、北極海での水中航行時の航法複合体の動作試験が行なわれました。
この間、9月20日から24日まで魚雷の実弾射撃を実施しています。

1962年7月4日から21日まで検査航海を行なった後、7月11日から21日まで北極圏航海を行ないました。
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水中航行中に原子炉の冷却循環ポンプが故障し、潜航したまま修理を行なっています。

1962年9月に核燃料棒の不備が発覚し、セヴェロドヴィンスクへ回航されました。

1962年10月9日、「レニンスキー・コムソモール」(レーニン共産党青年団)と命名されました。

1963年2月26日から1965年10月29日まで原子炉の交換と近代化改装が行なわれました。
撤去された核燃料棒はカラ海へ投棄されました。

1965年10月29日から11月7日まで航海試験を行ない、同年11月24日に海軍へ引き渡され、11月29日にはザーパドナヤ・リツァへ戻りました。

1965年12月17日、ソ連の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリン「レニンスキー・コムソモール」を訪れました。

1966年3月23日に白海で氷に衝突して潜望鏡を曲げました。

1966年7月10日から8月29日まで遠距離航海を行ない、大西洋、サルガッソー海、メキシコ湾まで進出し、魚雷発射訓練を行ないました。

1967年3月12日から4月30日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で船体のメンテナンスが行なわれました。
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1967年7月10日から9月11日まで遠距離航海を行ない、地中海へ進出しました。
地中海から戻る途中の9月4日、ノルウェイ海で火災事故を起こし(第1区画から出火し、第2区画に延焼)、乗員39名が死亡しました。
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1967年9月14日から11月5日までセヴェロドヴィンスクで修理が行なわれました。

1968年7月21日から29日までワルシャワ条約機構諸国海軍北方艦隊バルト艦隊の合同演習へ参加しました。

1968年12月8日からポリャールヌイ第10艦船修理工場でオーバーホールが行なわれ、1971年12月28日に復帰しました。

1972年1月にはグレミハ基地へ移動しました。
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1972年10月29日から11月5日まで演習を行ないました。

1973年5月12日から6月1日まで遠距離航海を行ない、大西洋地中海へ進出しました。

1975年2月に第7区画で火災が発生し乗員2名が重傷を負いました。

1975年4月24日から6月13日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1976年1月31日から2月21日までグレミハの浮きドックで定期修理が行なわれました。

同年6月1日から27日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1977年7月25日、「大型潜水艦」に再分類されました。

1977年12月29日からポリャールヌイ第10艦船修理工場で定期修理が始まりました。

1978年1月8日、修理中に火災が発生しました。

1978年12月30日に修理を終えて復帰しました。

1982年5月25日から6月25日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1985年1月から9月末までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1985年には、「オケアン-85」、「大西洋-85」、「北方-85」といった大規模演習へ参加しました。

1985年7月2日から27日までノルウェイ海で哨戒活動を実施しました。

1986年4月からポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が始まりました。

しかし修理は完了する事無く、1987年10月17日には海軍の戦闘編制から除外されました(事実上の退役)。

1988年9月9日には練習船となり、グレミハ基地に固定されました。

1989年3月14日、B-3と改称されました。

1991年には北方艦隊の編制表から消されました。

1993年9月30日、正式に海軍から除籍されました。

その後も係留保管されていましたが、2002年11月にポリャールヌイ第10艦船修理工場へ到着しました。

2003年5月30日から7月3日に使用済み核燃料が撤去されました。

2005年10月28日にはスネシュノゴルスク艦船修理工場『ネルパ』へ回航され、博物館への改装が行なわれる事になりました。
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2007年以降、原子炉区画が撤去され、代わりのダミー区画が製造されました。
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2017年2月に再進水する予定でしたが、半年以上遅れ、2017年9月8日になりました。
[ソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは記念艦となる]
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは再び進水した]


当初、「レニンスキー・コムソモール」は、ムルマンスクで保存されている原子力砕氷船「レーニン」の隣で展示される予定でした。
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しかしその後、クロンシュタット『海軍の栄光博物館』で展示される事になりました。


艦船修理工場『ネルパ』は、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットへの移動の為に準備作業を行ないました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ回航される]

2021年8月19日、浮きドックへ載せられた「レニンスキー・コムソモール」『ネルパ』埠頭を離れました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ向かう]

8月26日にクロンシュタットへの移動を開始しました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへの移動を開始した]

「レニンスキー・コムソモール」白海ベロモルスクへ行き、そこから内陸水路へ入りました。


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9月13日にスヴィリ川へ入りました。
『ロシア連邦国防省公式サイト』より
ロシア北方艦隊広報サービス発表
2021年9月13日14時0分配信
【原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」を載せた浮きドック「スヴィヤガ」はサンクトペテルブルクの『北方造船所』への曳航中にスヴィリ川へ入った】

9月21日にサンクトペテルブルク『北方造船所』へ到着しました。
『タス通信』より
2021年9月21日23時1分配信
【ソヴィエト社会主義共和国連邦初の原子力潜水艦K-3はサンクトペテルブルクへ到着した】
ここで浮きドックから出渠した後にクロンシュタットへ向かいました。
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10月1日にクロンシュタットへ到着しました。


2021年12月中旬に『クロンシュタット海洋工場』乾ドックへ入渠しました。
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2022年5月18日、乾ドックで修理作業中の「レニンスキー・コムソモール」の足場に溶接の火が引火した事による火災事故が発生しました。
『ロシア通信社ノーボスチ』より
2022年5月18日9時48分配信
【クロンシュタットでの原子力潜水艦「レニンスキー・コムソモール」の火災の原因が突き止められた】

「レニンスキー・コムソモール」の修復の為、ロシア海軍は純正部品を提供しました。
『Paluba Media』より
2022年5月26日10時46分配信
【ロシア海軍は原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」修復の為に純正の交換部品を提供する】

2022年6月22日に乾ドックを出渠しました。
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8月27日、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットからヴィボルグへ向かいました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはヴィボルグへ向かった]
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「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットフォルトフ島へ建設される海軍栄光博物館で展示する為に陸上へ上げる必要が有りますが、その為には特殊荷船「アトラント」を使わなければならず、更には、この作業を行なう為には18メートルの水深が必要なのですが、その場所がクロンシュタット周辺ではヴィボルグ付近にしか無い為、一旦「レニンスキー・コムソモール」ヴィボルグまで持って行く事になりました。

ヴィボルグ特殊荷船「アトラント」へ載せられた「レニンスキー・コムソモール」は、9月5日にクロンシュタットへ戻りました。
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[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ到着した]

9月9日にクロンシュタット岸壁へ陸揚げされました。

[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ陸揚げされた]
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「レニンスキー・コムソモール」の船体は2つに分割され、まず艦の後部が10月8日夜~9日未明の深夜に海軍栄光博物館への陸路輸送を開始しました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタット市内を陸路輸送された]
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艦後部の輸送は10月10日に完了し、続いて10月12日~13日の深夜に艦の前部が海軍栄光博物館へ輸送されました。

今後、「レニンスキー・コムソモール」の船体は接合され、海軍栄光博物館へ設置されます。

中央設計局『ルビーン』はロシア海軍の将来第5世代戦略用途原子力ロケット水中巡洋艦「アルクトゥル」の開発を進めている

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『ロシア通信社ノーボスチ』より
2022年10月10日3時4分配信
【中央設計局『ルビーン』は将来原子力潜水艦「アルクトゥル」の寸法を小さくするつもりである】
モスクワ、10月10日-ロシア通信社ノーボスチ、セルゲイ・サフロノフ

ロシア将来原子力潜水艦は寸法が小さくなるが、出来る限りの数の兵器の配置を得る。
株式会社・中央設計局『ルビーン』の対外経済活動・軍事技術協力担当副総取締役アンドレイ・バラノフ『ロシア通信社ノーボスチ』のインタビューで述べた。

「我々の観点からは、新たな潜水艦の排水量を幾らか減少する機会が有ります。
とは言っても、大きな寸法から逃れることは難しく、艦の多機能性は、それに依存します。
これらの大型潜水艦は、将来的には、徐々に兵器を含む様々な技術的手段を可能な限り配置できる汎用搭載プラットフォームとならなければなりません」
バラノフ
は指摘した。

従って、彼によると、概念設計「アルクトゥル」では、小型及び中型の水中無人機の為の汎用発射筒と、大型水中装置の為の艦外溝が見られる。

「これら全ては、このような潜水艦が可能な限り効率的に、つまり最大安全距離での行動を可能にします」
バラノフ
は付け加えた。

現在、艦隊には最新の原子力潜水艦プロジェクト955「ボレイ」(戦略)885「ヤーセン」(多目的)が登場している。

展示会『アルミヤ-2022』『ルビーン』は、21世紀後半に海軍へ登場するであろう次世代原子力潜水艦「アルクトゥル」の概念モデルを発表した。
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中央設計局『ルビーン』潜水艦無人水中装置の設計を専門としている。
同局は海軍の為の潜水艦の大部分を設計しており、特に戦略クラスの原子力艦「ボレイ」と通常動力クラスの「ワルシャワンカ」及び「ラーダ」を設計した。


『ロシア通信社ノーボスチ』より
2022年10月10日8時10分配信
【ロシアは将来原子力潜水艦の隠密性を保障する新たなアプローチを開発した】
モスクワ、10月10日-ロシア通信社ノーボスチ、セルゲイ・サフロノフ

ロシア次世代原子力潜水艦は反射音響フィールドを低減し、電磁及び熱フィールドを減少させる事によって、より隠密になる点で異なる。
株式会社・中央設計局『ルビーン』の対外経済活動・軍事技術協力担当副総取締役アンドレイ・バラノフ『ロシア通信社ノーボスチ』のインタビューで述べた。

展示会『アルミヤ-2022』『ルビーン』は、初めてモデルを発表した~ロシア連邦海軍へ21世紀後半に登場するであろう次世代原子力潜水艦「アルクトゥル」

現在、艦隊には最新の原子力潜水艦プロジェクト955「ボレイ」(戦略)885「ヤーセン」(多目的)が登場している。

「我々の将来潜水艦のヴィジョンにおける主な違いは、能力の拡張と隠密性を保障する新たなアプローチです。
これらの差異は、勿論潜水艦の内側にありますが、外側からも見えます。
最も明白な兆候は、反射音響信号の低減を考慮した新たな輪郭と、艦上の無人装置です。
模型では目立ちませんが、他のフィールドを減少させる作業も少なからず重要です~電磁気、熱など。
宇宙探知システムは既にファンタジーでは無く、非常に現実的な脅威です」
バラノフ
は話した。

中央設計局『ルビーン』潜水艦無人水中装置の設計を専門としている。
ロシア海軍潜水艦の大部分、特に戦略クラスの原子力艦「ボレイ」と通常動力クラスの「ワルシャワンカ」及び「ラーダ」『ルビーン』が設計した。


『ロシア通信社ノーボスチ』より
2022年10月10日8時58分配信
【海軍司令部は将来原子力潜水艦の概念に関心を持っている】
モスクワ、10月10日-ロシア通信社ノーボスチ、セルゲイ・サフロノフ

ロシア連邦海軍司令部は、将来原子力潜水艦「アルクトゥル」の概念に興味を持っている。
株式会社・中央設計局『ルビーン』の対外経済活動・軍事技術協力担当副総取締役アンドレイ・バラノフ『ロシア通信社ノーボスチ』のインタビューで述べた。

展示会『アルミヤ-2022』『ルビーン』は、初めてモデルを発表した~ロシア連邦海軍へ21世紀後半に登場するであろう次世代原子力潜水艦「アルクトゥル」

現在、艦隊には最新の原子力潜水艦プロジェクト955「ボレイ」(戦略)885「ヤーセン」(多目的)が登場している。

「関心を持っております。
私共は新世代潜水艦の作成において海軍と積極的な作業を行なっております」
ロシア連邦海軍
司令部がこの概念にどのような反応を示したのかとの質問に対し、バラノフは話した。

中央設計局『ルビーン』潜水艦無人水中装置の設計を専門としている。
ロシア海軍潜水艦の大部分、特に戦略クラスの原子力艦「ボレイ」と通常動力クラスの「ワルシャワンカ」及び「ラーダ」『ルビーン』が設計した。



ソ連/ロシア海軍戦略原子力潜水艦(戦略用途原子力ロケット水中巡洋艦)の設計を手掛けてきた海洋工学中央設計局『ルビーン』は、現在建造が進められている第4世代の戦略原子力潜水艦「ボレイ」シリーズの次世代(第5世代)の戦略原子力潜水艦の開発を2010年頃から水面下で進めていました。
[ロシアは第5世代潜水艦の設計作業を始めている]
第5世代戦略原子力潜水艦の開発作業の成果は、2012年から建造が始まった改「ボレイ」級(「ボレイ-A」)の設計にも取り入れられています。

これまでは殆ど情報の無かった第5世代戦略原子力潜水艦ですが、2022年8月15日から21日までモスクワ州クビンカ『愛国者公園』で開催された国際軍事技術フォーラム『アルミヤ-2022』で初めて概要が明らかにされました。
[ロシア海軍の将来第5世代戦略用途原子力ロケット水中巡洋艦概念設計案「アルクトゥル」]

アルクトゥルАрктурは、アークトゥルス(うしかい座α星)の事です。
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開発元の『ルビーン』は、第5世代戦略用途原子力ロケット水中巡洋艦「アルクトゥル」は排水量が20パーセント少なくなると言っておりますが、これは「ボレイ-A」(水中排水量25000トン)と比べての話なので、水中排水量は2万トン程度になるようです。
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「ボレイ」シリーズと同様にスクリューでは無くポンプジェット推進になり、機関は原子力ターボ・エレクトリック方式になるようです。

全長も「ボレイ-A」より約30メートル短い134メートル、幅15.7メートル、乗組員は約100名。

弾道ミサイルも、「ボレイ-A」の16基よりは少なくなるようです(12基)
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「アルクトゥル」弾道ミサイルの他に水中無人艇の搭載も可能であり、場合によっては水中無人艇母艦としても活動できるようです。
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ただ、実際に建造されるのはかなり先になるようですが・・・

記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタット市内を陸路輸送された





『47チャンネル』より
2022年10月9日11時56分配信
【動画:クロンシュタットで夜間に原子力潜水艦「レニンスキー・コムソモール」の輸送が行なわれた】

10月9日・日曜日未明、サンクトペテルブルクにおいて原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」の艦尾部分の輸送の第1段階が行われた。
『フォルトフ島』広報サービスは話した。

10月8日から9日に掛けてK-3艦尾部分は、技術的に困難な2つの順番を滞りなく通過し、ルートの最初の部分を超えた。
次の夜も輸送は続く。

初めての操作である為、ルート上で予想できない事態が発生するかもしれず、実際の移動速度は計算値より遅くなる事も有り得た。
同時に、指定「時間枠」に入らなければならなかった:交通が実質的に停止する夜間にのみ、コトリンの主要「輸送動脈」であるクロンシュタット高速道路を通して潜水艦を輸送する予定だったので。
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K-3の艦尾部分は、10月9日~10日の夜間に残りのルートを通過する。
この箇所も全て計画通りに進んだ場合、潜水艦の艦首は、10月12日から13日の一晩で「モビ・ジク」から博物館の建物へ運ばれる。

この段階において潜水艦は、全ロシアキャンペーン『共にK-3の伝説に会おう』に参加しているクロンシュタットのボランティアに出迎えられる。
ソヴィエト初の原子力艦の歴史に関係する所を含め、国内の多くの地域が既にオンラインで参加している。

「クロンシュタットを通過するK-3の地上輸送は大規模な操作です。
2つに分割されているとは言え、全長107メートル以上の潜水艦が都市部を陸路輸送された事は世界にも例が有りません。
元々の工学-物流プロジェクトは数ヶ月掛けて開発され、更に道路インフラの準備に約1ヶ月掛かりました。
専門家の大規模チームが輸送に関わっており、その作業は、全ての課題が期限通りに最高水準で遂行されている事に疑う余地は有りません」
フォルトフ島』観光-レクリエーションクラスタ作成プロジェクト室長クセニア・ショイグ

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原子力潜水艦の部品を移動する操作を実行する前に、市は大規模な準備を行う必要が有った:100メートル以上の潜水艦のルート上で70以上の道路構造物が取り外された~標識、照明塔、信号機、800メートル以上の縁石など。
『海軍栄光博物館』の建物への特別な道路が建設された。
潜水艦の陸上輸送操作が完了すれば、全ての道路インフラは復旧される。



ソヴィエト連邦初の原子力潜水艦であるK-3は、プロジェクト627「キート」巡洋潜水艦(NATOコード名「ノヴェンバー」)の1番艦として、1956年9月24日にモロトフスク(現セヴェロドヴィンスク)第402造船工場(現セヴマシュ)で起工されました。
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1957年10月9日に進水した後に係留試験が始まり、翌1958年6月に終了しました。

1958年7月21日には、ソ連海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ提督、ソ連造船業相ボリス・ブトマが出席し、ソ連邦海軍旗の初掲揚式典が開催されました。
この時点で、K-3は未だ航海試験も始まっていませんでした。

1958年7月3日、工場航行試験をすっ飛ばして、いきなり国家受領試験が始まりました。
翌7月4日10時3分、初めてK-3原子力機関が始動しました。

1958年8月には潜水航行試験が行なわれました。

1958年11月26日から12月2日まで白海で潜航試験が行なわれ、深度310mまで潜航しました。

1958年12月17日、巡洋潜水艦K-3受領証書への署名が行なわれ、ソ連海軍へ納入されました。

しかし、初めての原子力潜水艦という事も有り、色々と問題点が発覚した為、1958年1月には「試験運用」へ移行しました。
プロジェクト627の2番艦以降は、改良型のプロジェクト627Aとして建造されることになりました。

翌1959年も白海で各種試験に従事し、同年10月下旬に、ようやく白海からバレンツ海北方艦隊基地ザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ移動しました。
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1959年11月1日から15日まで初の遠距離航海を行ない、グリーンランド付近まで進出しましたが、浮上時に氷に衝突して損傷しました。

帰港後、1959年12月から1960年5月までセヴェロドヴィンスク「セヴマシュ」で修理と近代化改装を行ない、新たな航法複合体が設置されました。

1960年12月から1961年2月まで「セヴマシュ」で係留試験が行なわれました。

1961年5月26日から8月7日まで航海試験が行なわれ、再びザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ配備されました。

1961年9月17日から31日までカラ海において、北極海での水中航行時の航法複合体の動作試験が行なわれました。
この間、9月20日から24日まで魚雷の実弾射撃を実施しています。

1962年7月4日から21日まで検査航海を行なった後、7月11日から21日まで北極圏航海を行ないました。
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水中航行中に原子炉の冷却循環ポンプが故障し、潜航したまま修理を行なっています。

1962年9月に核燃料棒の不備が発覚し、セヴェロドヴィンスクへ回航されました。

1962年10月9日、「レニンスキー・コムソモール」(レーニン共産党青年団)と命名されました。

1963年2月26日から1965年10月29日まで原子炉の交換と近代化改装が行なわれました。
撤去された核燃料棒はカラ海へ投棄されました。

1965年10月29日から11月7日まで航海試験を行ない、同年11月24日に海軍へ引き渡され、11月29日にはザーパドナヤ・リツァへ戻りました。

1965年12月17日、ソ連の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリン「レニンスキー・コムソモール」を訪れました。

1966年3月23日に白海で氷に衝突して潜望鏡を曲げました。

1966年7月10日から8月29日まで遠距離航海を行ない、大西洋、サルガッソー海、メキシコ湾まで進出し、魚雷発射訓練を行ないました。

1967年3月12日から4月30日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で船体のメンテナンスが行なわれました。
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1967年7月10日から9月11日まで遠距離航海を行ない、地中海へ進出しました。
地中海から戻る途中の9月4日、ノルウェイ海で火災事故を起こし(第1区画から出火し、第2区画に延焼)、乗員39名が死亡しました。
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1967年9月14日から11月5日までセヴェロドヴィンスクで修理が行なわれました。

1968年7月21日から29日までワルシャワ条約機構諸国海軍北方艦隊バルト艦隊の合同演習へ参加しました。

1968年12月8日からポリャールヌイ第10艦船修理工場でオーバーホールが行なわれ、1971年12月28日に復帰しました。

1972年1月にはグレミハ基地へ移動しました。
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1972年10月29日から11月5日まで演習を行ないました。

1973年5月12日から6月1日まで遠距離航海を行ない、大西洋地中海へ進出しました。

1975年2月に第7区画で火災が発生し乗員2名が重傷を負いました。

1975年4月24日から6月13日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1976年1月31日から2月21日までグレミハの浮きドックで定期修理が行なわれました。

同年6月1日から27日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1977年7月25日、「大型潜水艦」に再分類されました。

1977年12月29日からポリャールヌイ第10艦船修理工場で定期修理が始まりました。

1978年1月8日、修理中に火災が発生しました。

1978年12月30日に修理を終えて復帰しました。

1982年5月25日から6月25日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1985年1月から9月末までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1985年には、「オケアン-85」、「大西洋-85」、「北方-85」といった大規模演習へ参加しました。

1985年7月2日から27日までノルウェイ海で哨戒活動を実施しました。

1986年4月からポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が始まりました。

しかし修理は完了する事無く、1987年10月17日には海軍の戦闘編制から除外されました(事実上の退役)。

1988年9月9日には練習船となり、グレミハ基地に固定されました。

1989年3月14日、B-3と改称されました。

1991年には北方艦隊の編制表から消されました。

1993年9月30日、正式に海軍から除籍されました。

その後も係留保管されていましたが、2002年11月にポリャールヌイ第10艦船修理工場へ到着しました。

2003年5月30日から7月3日に使用済み核燃料が撤去されました。

2005年10月28日にはスネシュノゴルスク艦船修理工場『ネルパ』へ回航され、博物館への改装が行なわれる事になりました。
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2007年以降、原子炉区画が撤去され、代わりのダミー区画が製造されました。
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2017年2月に再進水する予定でしたが、半年以上遅れ、2017年9月8日になりました。
[ソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは記念艦となる]
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは再び進水した]


当初、「レニンスキー・コムソモール」は、ムルマンスクで保存されている原子力砕氷船「レーニン」の隣で展示される予定でした。
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しかしその後、クロンシュタット『海軍の栄光博物館』で展示される事になりました。


艦船修理工場『ネルパ』は、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットへの移動の為に準備作業を行ないました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ回航される]

2021年8月19日、浮きドックへ載せられた「レニンスキー・コムソモール」『ネルパ』埠頭を離れました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ向かう]

8月26日にクロンシュタットへの移動を開始しました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへの移動を開始した]

「レニンスキー・コムソモール」白海ベロモルスクへ行き、そこから内陸水路へ入りました。


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9月13日にスヴィリ川へ入りました。
『ロシア連邦国防省公式サイト』より
ロシア北方艦隊広報サービス発表
2021年9月13日14時0分配信
【原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」を載せた浮きドック「スヴィヤガ」はサンクトペテルブルクの『北方造船所』への曳航中にスヴィリ川へ入った】

9月21日にサンクトペテルブルク『北方造船所』へ到着しました。
『タス通信』より
2021年9月21日23時1分配信
【ソヴィエト社会主義共和国連邦初の原子力潜水艦K-3はサンクトペテルブルクへ到着した】
ここで浮きドックから出渠した後にクロンシュタットへ向かいました。
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10月1日にクロンシュタットへ到着しました。


2021年12月中旬に『クロンシュタット海洋工場』乾ドックへ入渠しました。
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2022年5月18日、乾ドックで修理作業中の「レニンスキー・コムソモール」の足場に溶接の火が引火した事による火災事故が発生しました。
『ロシア通信社ノーボスチ』より
2022年5月18日9時48分配信
【クロンシュタットでの原子力潜水艦「レニンスキー・コムソモール」の火災の原因が突き止められた】

「レニンスキー・コムソモール」の修復の為、ロシア海軍は純正部品を提供しました。
『Paluba Media』より
2022年5月26日10時46分配信
【ロシア海軍は原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」修復の為に純正の交換部品を提供する】

2022年6月22日に乾ドックを出渠しました。
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8月27日、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットからヴィボルグへ向かいました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはヴィボルグへ向かった]
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「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットフォルトフ島へ建設される海軍栄光博物館で展示する為に陸上へ上げる必要が有りますが、その為には特殊荷船「アトラント」を使わなければならず、更には、この作業を行なう為には18メートルの水深が必要なのですが、その場所がクロンシュタット周辺ではヴィボルグ付近にしか無い為、一旦「レニンスキー・コムソモール」ヴィボルグまで持って行く事になりました。

ヴィボルグ特殊荷船「アトラント」へ載せられた「レニンスキー・コムソモール」は、9月5日にクロンシュタットへ戻りました。
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[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ到着した]

9月9日にクロンシュタット岸壁へ陸揚げされました。

[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ陸揚げされた]
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「レニンスキー・コムソモール」の船体は2つに分割され、まず艦の後部が10月8日夜~9日未明の深夜に海軍栄光博物館への陸路輸送を開始しました。
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艦後部の輸送は10月10日に完了し、続いて10月12日~13日の深夜に艦の前部が海軍栄光博物館へ輸送されます。

記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ陸揚げされた


『SeaNews』より
2022年9月12日配信
【原子力潜水艦「レニンスキー・コムソモール」は「モビ・ジク」埠頭へ降ろされた】

ソヴィエト初の原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」自走式車軸の助力を得て「モビ・ジク」ターミナルの沿岸へ降ろされた。
ムルマンスク州政府広報サービスは発表した。
「国内艦隊の伝説をクロンシュタットの海軍栄光博物館の建物へ輸送する為の前例の無いエンジニアリング-ロジスティックプロジェクトの海上部門は成功裏に完了しました」
広報サービスは述べた。
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ヴィボルグ湾からクロンシュタットまで輸送されるK-3は、荷船「アトラント」へ載せられた上で潜水艦の強度船体(外殻)を2つの部分に分割する操作が行なわれた。
ダイヤモンドカッターの助力によりドナー区画の切断が行なわれ、安全上の理由から長期間切断されていた原子炉区画と交換された。
これが無ければ、ターミナルで全長107メートル、重量2500トンの艦を降ろす事は技術的に不可能である。
これに加え、潜水艦を完全に市内を通過する陸路で輸送する為には、道路構造物の解体作業の規模を大幅に拡大しなければならず、事実上クロンシュタットが全て麻痺してしまう。

「モビ・ジク」ターミナル埠頭K-3の為の特別なスロープが組み立てられた。
各々が長さ50メートルを超える潜水艦の部品の下船は、このプロジェクトの為に設計された自走移動トランスポーターの助力により実行された。
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速度は約時速2.5キロメートルであった。
「アトラント」のバラストシステムの作業の為、定期的に技術的停止が行なわれた:潜水艦が展開する際、貨物のバランスを取り、係留岸壁と水面との不一致を平均化する必要が有った。

「潜水艦の両方の部品が陸上へ上がる時、アトラントの乗組員は潜水艦に別れを告げるシンボルの警笛を鳴らし、自走ローダーのオペレーターは潜水艦の両方の部分を宝石のように正確に接続しました」
広報サービスは指摘した。
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「K-3レニンスキーコムソモールを『海軍栄光博物館』の建物へ輸送する操作の海上段階は成功裏に完了しました。
関連するプロジェクトの解決策を開発し、実行した専門家の皆様へ厚く御礼申し上げます。
作業は最高水準で実行されました。
気象条件と技術的課題に関連する全ての難題は克服出来ました。
得られた経験は、今後、社会的に重要なプロジェクトの実行の際、ロシアの輸送及び物流業界のエンジニアに必要とされる事を確信します」
『フォルトフ島』
観光-レクリエーションクラスタ作成プロジェクト室長クセニア・ショイグは話した。
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K-3輸送操作の次の段階は、クロンシュタットの通りを通過する『海軍栄光博物館』の建物への陸上輸送となる。
以前、このような船が市内の道路網を通過した事は無かった。
そのルート上で、標識、照明塔、信号機、2つの暖房陸橋、800メートル以上の縁石など、70以上の道路構造物を取り外し、その後に復旧する必要が有る。
暖房炉は解体されてから復元され、特殊道路が博物館の前に建設される。



ソヴィエト連邦初の原子力潜水艦であるK-3は、プロジェクト627「キート」巡洋潜水艦(NATOコード名「ノヴェンバー」)の1番艦として、1956年9月24日にモロトフスク(現セヴェロドヴィンスク)第402造船工場(現セヴマシュ)で起工されました。
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1957年10月9日に進水した後に係留試験が始まり、翌1958年6月に終了しました。

1958年7月21日には、ソ連海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ提督、ソ連造船業相ボリス・ブトマが出席し、ソ連邦海軍旗の初掲揚式典が開催されました。
この時点で、K-3は未だ航海試験も始まっていませんでした。

1958年7月3日、工場航行試験をすっ飛ばして、いきなり国家受領試験が始まりました。
翌7月4日10時3分、初めてK-3原子力機関が始動しました。

1958年8月には潜水航行試験が行なわれました。

1958年11月26日から12月2日まで白海で潜航試験が行なわれ、深度310mまで潜航しました。

1958年12月17日、巡洋潜水艦K-3受領証書への署名が行なわれ、ソ連海軍へ納入されました。

しかし、初めての原子力潜水艦という事も有り、色々と問題点が発覚した為、1958年1月には「試験運用」へ移行しました。
プロジェクト627の2番艦以降は、改良型のプロジェクト627Aとして建造されることになりました。

翌1959年も白海で各種試験に従事し、同年10月下旬に、ようやく白海からバレンツ海北方艦隊基地ザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ移動しました。
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1959年11月1日から15日まで初の遠距離航海を行ない、グリーンランド付近まで進出しましたが、浮上時に氷に衝突して損傷しました。

帰港後、1959年12月から1960年5月までセヴェロドヴィンスク「セヴマシュ」で修理と近代化改装を行ない、新たな航法複合体が設置されました。

1960年12月から1961年2月まで「セヴマシュ」で係留試験が行なわれました。

1961年5月26日から8月7日まで航海試験が行なわれ、再びザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ配備されました。

1961年9月17日から31日までカラ海において、北極海での水中航行時の航法複合体の動作試験が行なわれました。
この間、9月20日から24日まで魚雷の実弾射撃を実施しています。

1962年7月4日から21日まで検査航海を行なった後、7月11日から21日まで北極圏航海を行ないました。
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水中航行中に原子炉の冷却循環ポンプが故障し、潜航したまま修理を行なっています。

1962年9月に核燃料棒の不備が発覚し、セヴェロドヴィンスクへ回航されました。

1962年10月9日、「レニンスキー・コムソモール」(レーニン共産党青年団)と命名されました。

1963年2月26日から1965年10月29日まで原子炉の交換と近代化改装が行なわれました。
撤去された核燃料棒はカラ海へ投棄されました。

1965年10月29日から11月7日まで航海試験を行ない、同年11月24日に海軍へ引き渡され、11月29日にはザーパドナヤ・リツァへ戻りました。

1965年12月17日、ソ連の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリン「レニンスキー・コムソモール」を訪れました。

1966年3月23日に白海で氷に衝突して潜望鏡を曲げました。

1966年7月10日から8月29日まで遠距離航海を行ない、大西洋、サルガッソー海、メキシコ湾まで進出し、魚雷発射訓練を行ないました。

1967年3月12日から4月30日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で船体のメンテナンスが行なわれました。
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1967年7月10日から9月11日まで遠距離航海を行ない、地中海へ進出しました。
地中海から戻る途中の9月4日、ノルウェイ海で火災事故を起こし(第1区画から出火し、第2区画に延焼)、乗員39名が死亡しました。
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1967年9月14日から11月5日までセヴェロドヴィンスクで修理が行なわれました。

1968年7月21日から29日までワルシャワ条約機構諸国海軍北方艦隊バルト艦隊の合同演習へ参加しました。

1968年12月8日からポリャールヌイ第10艦船修理工場でオーバーホールが行なわれ、1971年12月28日に復帰しました。

1972年1月にはグレミハ基地へ移動しました。
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1972年10月29日から11月5日まで演習を行ないました。

1973年5月12日から6月1日まで遠距離航海を行ない、大西洋地中海へ進出しました。

1975年2月に第7区画で火災が発生し乗員2名が重傷を負いました。

1975年4月24日から6月13日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1976年1月31日から2月21日までグレミハの浮きドックで定期修理が行なわれました。

同年6月1日から27日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1977年7月25日、「大型潜水艦」に再分類されました。

1977年12月29日からポリャールヌイ第10艦船修理工場で定期修理が始まりました。

1978年1月8日、修理中に火災が発生しました。

1978年12月30日に修理を終えて復帰しました。

1982年5月25日から6月25日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1985年1月から9月末までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1985年には、「オケアン-85」、「大西洋-85」、「北方-85」といった大規模演習へ参加しました。

1985年7月2日から27日までノルウェイ海で哨戒活動を実施しました。

1986年4月からポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が始まりました。

しかし修理は完了する事無く、1987年10月17日には海軍の戦闘編制から除外されました(事実上の退役)。

1988年9月9日には練習船となり、グレミハ基地に固定されました。

1989年3月14日、B-3と改称されました。

1991年には北方艦隊の編制表から消されました。

1993年9月30日、正式に海軍から除籍されました。

その後も係留保管されていましたが、2002年11月にポリャールヌイ第10艦船修理工場へ到着しました。

2003年5月30日から7月3日に使用済み核燃料が撤去されました。

2005年10月28日にはスネシュノゴルスク艦船修理工場『ネルパ』へ回航され、博物館への改装が行なわれる事になりました。
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2007年以降、原子炉区画が撤去され、代わりのダミー区画が製造されました。
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2017年2月に再進水する予定でしたが、半年以上遅れ、2017年9月8日になりました。
[ソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは記念艦となる]
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは再び進水した]


当初、「レニンスキー・コムソモール」は、ムルマンスクで保存されている原子力砕氷船「レーニン」の隣で展示される予定でした。
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しかしその後、クロンシュタット『海軍の栄光博物館』で展示される事になりました。


艦船修理工場『ネルパ』は、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットへの移動の為に準備作業を行ないました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ回航される]

2021年8月19日、浮きドックへ載せられた「レニンスキー・コムソモール」『ネルパ』埠頭を離れました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ向かう]

8月26日にクロンシュタットへの移動を開始しました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへの移動を開始した]

「レニンスキー・コムソモール」白海ベロモルスクへ行き、そこから内陸水路へ入りました。


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9月13日にスヴィリ川へ入りました。
『ロシア連邦国防省公式サイト』より
ロシア北方艦隊広報サービス発表
2021年9月13日14時0分配信
【原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」を載せた浮きドック「スヴィヤガ」はサンクトペテルブルクの『北方造船所』への曳航中にスヴィリ川へ入った】

9月21日にサンクトペテルブルク『北方造船所』へ到着しました。
『タス通信』より
2021年9月21日23時1分配信
【ソヴィエト社会主義共和国連邦初の原子力潜水艦K-3はサンクトペテルブルクへ到着した】
ここで浮きドックから出渠した後にクロンシュタットへ向かいました。
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10月1日にクロンシュタットへ到着しました。


2021年12月中旬に『クロンシュタット海洋工場』乾ドックへ入渠しました。
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2022年5月18日、乾ドックで修理作業中の「レニンスキー・コムソモール」の足場に溶接の火が引火した事による火災事故が発生しました。
『ロシア通信社ノーボスチ』より
2022年5月18日9時48分配信
【クロンシュタットでの原子力潜水艦「レニンスキー・コムソモール」の火災の原因が突き止められた】

「レニンスキー・コムソモール」の修復の為、ロシア海軍は純正部品を提供しました。
『Paluba Media』より
2022年5月26日10時46分配信
【ロシア海軍は原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」修復の為に純正の交換部品を提供する】

2022年6月22日に乾ドックを出渠しました。
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8月27日、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットからヴィボルグへ向かいました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはヴィボルグへ向かった]
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「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットフォルトフ島へ建設される海軍栄光博物館で展示する為に陸上へ上げる必要が有りますが、その為には特殊荷船「アトラント」を使わなければならず、更には、この作業を行なう為には18メートルの水深が必要なのですが、その場所がクロンシュタット周辺ではヴィボルグ付近にしか無い為、一旦「レニンスキー・コムソモール」ヴィボルグまで持って行く事になりました。

ヴィボルグ特殊荷船「アトラント」へ載せられた「レニンスキー・コムソモール」は、9月5日にクロンシュタットへ戻りました。
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[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ到着した]

9月9日にクロンシュタット岸壁へ陸揚げされました。
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今後、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットの海軍栄光博物館まで陸路輸送されます。

記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ到着した

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『ロシア通信社ヴォロネジ』より
2022年9月5日16時47分配信
【国内海軍の伝説の潜水艦「レニンスキー・コムソモール」は64年間の水上航路を終えた】

国内海軍の伝説の潜水艦「レニンスキー・コムソモール」は64年間の水上航路を終えた。
国の歴史上初めての原子力艦は、9月15日・木曜日にサンクトペテルブルク『海軍の栄光博物館』への引き渡しが計画されている。

8月27日・土曜日、クロンシュタットの冬埠頭で修復作業完了後の潜水艦ヴィボルグ造船工場へ輸送された。
9月1日・木曜日、「デッドアンカー」の助力を得て固定された潜水荷船「アトラント」「レニンスキー・コムソモール」が設置された。
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その後、原子力艦は自走軸へ載せられ、その上で潜水艦『海軍の栄光博物館』の建物へ向かう。

「クロンシュタットの通りに沿って博物館の建物に向かうK-3の陸上輸送は、ギネスブックの記録に値するイベントです。
これほどの大型船が陸上輸送された例はありません(全長107メートル以上、満載排水量約4750トン、重量-2558トン)。
国の歴史上初めての原子力艦を移送する操作は、全ロシアキャンペーン『共にK-3の伝説に会おう』を伴います」

主催者は話した。

潜水艦K-3の艦首及び艦尾部分が『海軍の栄光博物館』の建物へ到着した後、これらは床スラブの設計位置へ据え付けられ、位置を定め、溶接される。
その後、専門技術者は、10年以上前に取り除かれた原子炉区画の代わりに挿入されるダミーの溶接場所で軽量船体(内殻)の修復に従事し、その後でK-3は博物館化の準備が整う。
この機会に記念行事が計画されていると主催者は述べた。

[状況]
ソヴィエト
初の原子力潜水艦は、敵海軍基地を目標とする巨大な口径1.5メートル魚雷の搭載艦として設計された。
1952年9月9日、政府の特別指示により、ソヴィエト初の原子力潜水艦「プロジェクト627」の開発が正式にスタートした。

ソビエトの設計者は、アメリカの同類を速度で、とりわけ水中速度で凌駕する原子力艦を作成しなければならなかった。
その結果、潜水艦は、核魚雷を含め2ダースの魚雷を弾薬とする8門の艦首魚雷発射管を得た。
そして主な武器は、計画通りに速力と機動性であった:試験中に28ノットの水中速力を達成したが、それは全速では無かった。
比較の為に、アメリカ原子力潜水艦「ノーチラス」「シーウルフ」では、この数値は20~23ノットを超えなかった。

その作成に伴う多くの問題と困難にもかかわらず、K-3は遅ればせながら建造された。
同艦は1955年9月24日に起工され、その2年後に進水し、その1年後に海軍へ加入し、初めて原子力で航行した。



ソヴィエト連邦初の原子力潜水艦であるK-3は、プロジェクト627「キート」巡洋潜水艦(NATOコード名「ノヴェンバー」)の1番艦として、1956年9月24日にモロトフスク(現セヴェロドヴィンスク)第402造船工場(現セヴマシュ)で起工されました。
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1957年10月9日に進水した後に係留試験が始まり、翌1958年6月に終了しました。

1958年7月21日には、ソ連海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ提督、ソ連造船業相ボリス・ブトマが出席し、ソ連邦海軍旗の初掲揚式典が開催されました。
この時点で、K-3は未だ航海試験も始まっていませんでした。

1958年7月3日、工場航行試験をすっ飛ばして、いきなり国家受領試験が始まりました。
翌7月4日10時3分、初めてK-3原子力機関が始動しました。

1958年8月には潜水航行試験が行なわれました。

1958年11月26日から12月2日まで白海で潜航試験が行なわれ、深度310mまで潜航しました。

1958年12月17日、巡洋潜水艦K-3受領証書への署名が行なわれ、ソ連海軍へ納入されました。

しかし、初めての原子力潜水艦という事も有り、色々と問題点が発覚した為、1958年1月には「試験運用」へ移行しました。
プロジェクト627の2番艦以降は、改良型のプロジェクト627Aとして建造されることになりました。

翌1959年も白海で各種試験に従事し、同年10月下旬に、ようやく白海からバレンツ海北方艦隊基地ザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ移動しました。
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1959年11月1日から15日まで初の遠距離航海を行ない、グリーンランド付近まで進出しましたが、浮上時に氷に衝突して損傷しました。

帰港後、1959年12月から1960年5月までセヴェロドヴィンスク「セヴマシュ」で修理と近代化改装を行ない、新たな航法複合体が設置されました。

1960年12月から1961年2月まで「セヴマシュ」で係留試験が行なわれました。

1961年5月26日から8月7日まで航海試験が行なわれ、再びザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ配備されました。

1961年9月17日から31日までカラ海において、北極海での水中航行時の航法複合体の動作試験が行なわれました。
この間、9月20日から24日まで魚雷の実弾射撃を実施しています。

1962年7月4日から21日まで検査航海を行なった後、7月11日から21日まで北極圏航海を行ないました。
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水中航行中に原子炉の冷却循環ポンプが故障し、潜航したまま修理を行なっています。

1962年9月に核燃料棒の不備が発覚し、セヴェロドヴィンスクへ回航されました。

1962年10月9日、「レニンスキー・コムソモール」(レーニン共産党青年団)と命名されました。

1963年2月26日から1965年10月29日まで原子炉の交換と近代化改装が行なわれました。
撤去された核燃料棒はカラ海へ投棄されました。

1965年10月29日から11月7日まで航海試験を行ない、同年11月24日に海軍へ引き渡され、11月29日にはザーパドナヤ・リツァへ戻りました。

1965年12月17日、ソ連の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリン「レニンスキー・コムソモール」を訪れました。

1966年3月23日に白海で氷に衝突して潜望鏡を曲げました。

1966年7月10日から8月29日まで遠距離航海を行ない、大西洋、サルガッソー海、メキシコ湾まで進出し、魚雷発射訓練を行ないました。

1967年3月12日から4月30日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で船体のメンテナンスが行なわれました。
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1967年7月10日から9月11日まで遠距離航海を行ない、地中海へ進出しました。
地中海から戻る途中の9月4日、ノルウェイ海で火災事故を起こし(第1区画から出火し、第2区画に延焼)、乗員39名が死亡しました。
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1967年9月14日から11月5日までセヴェロドヴィンスクで修理が行なわれました。

1968年7月21日から29日までワルシャワ条約機構諸国海軍北方艦隊バルト艦隊の合同演習へ参加しました。

1968年12月8日からポリャールヌイ第10艦船修理工場でオーバーホールが行なわれ、1971年12月28日に復帰しました。

1972年1月にはグレミハ基地へ移動しました。
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1972年10月29日から11月5日まで演習を行ないました。

1973年5月12日から6月1日まで遠距離航海を行ない、大西洋地中海へ進出しました。

1975年2月に第7区画で火災が発生し乗員2名が重傷を負いました。

1975年4月24日から6月13日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1976年1月31日から2月21日までグレミハの浮きドックで定期修理が行なわれました。

同年6月1日から27日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1977年7月25日、「大型潜水艦」に再分類されました。

1977年12月29日からポリャールヌイ第10艦船修理工場で定期修理が始まりました。

1978年1月8日、修理中に火災が発生しました。

1978年12月30日に修理を終えて復帰しました。

1982年5月25日から6月25日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1985年1月から9月末までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1985年には、「オケアン-85」、「大西洋-85」、「北方-85」といった大規模演習へ参加しました。

1985年7月2日から27日までノルウェイ海で哨戒活動を実施しました。

1986年4月からポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が始まりました。

しかし修理は完了する事無く、1987年10月17日には海軍の戦闘編制から除外されました(事実上の退役)。

1988年9月9日には練習船となり、グレミハ基地に固定されました。

1989年3月14日、B-3と改称されました。

1991年には北方艦隊の編制表から消されました。

1993年9月30日、正式に海軍から除籍されました。

その後も係留保管されていましたが、2002年11月にポリャールヌイ第10艦船修理工場へ到着しました。

2003年5月30日から7月3日に使用済み核燃料が撤去されました。

2005年10月28日にはスネシュノゴルスク艦船修理工場『ネルパ』へ回航され、博物館への改装が行なわれる事になりました。
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2007年以降、原子炉区画が撤去され、代わりのダミー区画が製造されました。
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2017年2月に再進水する予定でしたが、半年以上遅れ、2017年9月8日になりました。
[ソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは記念艦となる]
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは再び進水した]


当初、「レニンスキー・コムソモール」は、ムルマンスクで保存されている原子力砕氷船「レーニン」の隣で展示される予定でした。
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しかしその後、クロンシュタットフォルトフ島で展示される事になりました。


艦船修理工場『ネルパ』は、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットへの移動の為に準備作業を行ないました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ回航される]

2021年8月19日、浮きドックへ載せられた「レニンスキー・コムソモール」『ネルパ』埠頭を離れました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ向かう]

8月26日にクロンシュタットへの移動を開始しました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへの移動を開始した]

「レニンスキー・コムソモール」白海ベロモルスクへ行き、そこから内陸水路へ入りました。


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9月13日にスヴィリ川へ入りました。
『ロシア連邦国防省公式サイト』より
ロシア北方艦隊広報サービス発表
2021年9月13日14時0分配信
【原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」を載せた浮きドック「スヴィヤガ」はサンクトペテルブルクの『北方造船所』への曳航中にスヴィリ川へ入った】

9月21日にサンクトペテルブルク『北方造船所』へ到着しました。
『タス通信』より
2021年9月21日23時1分配信
【ソヴィエト社会主義共和国連邦初の原子力潜水艦K-3はサンクトペテルブルクへ到着した】
ここで浮きドックから出渠した後にクロンシュタットへ向かいました。
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10月1日にクロンシュタットへ到着しました。


2021年12月中旬に『クロンシュタット海洋工場』乾ドックへ入渠しました。
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2022年5月18日、乾ドックで修理作業中の「レニンスキー・コムソモール」の足場に溶接の火が引火した事による火災事故が発生しました。
『ロシア通信社ノーボスチ』より
2022年5月18日9時48分配信
【クロンシュタットでの原子力潜水艦「レニンスキー・コムソモール」の火災の原因が突き止められた】

「レニンスキー・コムソモール」の修復の為、ロシア海軍は純正部品を提供しました。
『Paluba Media』より
2022年5月26日10時46分配信
【ロシア海軍は原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」修復の為に純正の交換部品を提供する】

2022年6月22日に乾ドックを出渠しました。
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8月27日、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットからヴィボルグへ向かいました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはヴィボルグへ向かった]
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「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットフォルトフ島へ建設される海軍栄光博物館で展示する為に陸上へ上げる必要が有りますが、その為には特殊荷船「アトラント」を使わなければならず、更には、この作業を行なう為には18メートルの水深が必要なのですが、その場所がクロンシュタット周辺ではヴィボルグ付近にしか無い為、一旦「レニンスキー・コムソモール」ヴィボルグまで持って行く事になりました。

ヴィボルグ特殊荷船「アトラント」へ載せられた「レニンスキー・コムソモール」は、9月5日にクロンシュタットへ戻りました。
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今後、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットへ陸揚げされ、博物館に固定されます。

ロシア海軍の原子力潜水艦は新たな吸音タイルを装備する

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『イズベスチヤ』より
2022年9月6日0時0分配信
【静かな港:ロシアの潜水艦は新たな保護コーティングを得る】

革新的な素材は潜水艦を水中音響(ソナー)探知から保護し、メカニズムの騒音を隠す

ロシア潜水艦は見つけにくくなる。
それは、敵の水中音響ステーション(ソナー)から保護する最新コーティングを得る。
これは新世代の特殊素材から製造され、殆ど目立たなくなる。
専門家によると、このような「メッキ」は同時に2つの機能を果たす~艦のメカニズムの動作による騒音を打ち消し、更に敵のソナーの信号を吸収し、潜水艦を探知できないようにする。
これを最初に得るのは、現在建造中の「ボレイ」「ヤーセン」になる。

[目立たず、静粛な]
軍当局
潜水艦へ最新コーティングを装備する為の作業スケジュールを承認したと国防省の情報筋は『イズベスチヤ』へ話した。
先ず第一に、これは建造中の戦略水中ロケット艦「ボレイ」多機能潜水艦「ヤーセン」が受け取る。
その後は、計画修理を行なう他の潜水艦への装備が計画されていると情報筋は説明した。
対談者はコーティングの構成は公開しなかった。

水中ロケット艦の艦長イーゴリ・クルディンによると、最初、このような艦はコーティング無しで建造されたが、最初の近代化の後、それを手に入れた。
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「それは、特殊なゴムが貼り付けられていました」
彼は『イズベスチヤ』へ話した。
「それは、対ソナーコーティング『メドゥーザ』型と呼ばれていました。
それは2つの機能を果たすと考えられていました。
1つ目は、潜水艦の内部の騒音の除去です。
そして2つ目は、ソナーの反射を著しく減らし、いわゆるソナービームを打ち消す事です。
勿論、科学はその場所で止まってはおらず、現在使用されているコーティングは、その品質においてより効果的になります。
これにより、敵が艦のメカニズムの騒音を探知する事はより困難となり、更にはアクティブソナーにとっての視認性も減少します。
先ず第一に、新たなコーティングは最も価値のある戦闘ユニット~ボレイ型水中ロケット艦とプロジェクト"ヤーセン"潜水艦へ設置しなければならない事は明白です」


以前、北方艦隊第31潜水艦師団司令官ステパン・ケリバス少将は『イズベスチヤ』のインタビューで、戦略水中ロケット艦の主な任務は、隠密性が失われるのを許さない事であると話した。
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「多目的潜水艦は、潜在敵潜水艦を探し、猫と鼠の追いかけっこをしています。
我々の海上ミサイル発射機と16基の弾道ミサイルが気付かれない事を保持する為、私達はあらゆる事を行なう義務があります。
敵潜水艦との接触が発生したとしても、私達はあらゆる機会を利用し、出来るだけ迅速に隠密性を回復しなければなりません:疑わしい海域から逃れ、可能な限り隠れ、氷丘脈、北極圏に住む動物の生物的騒音を利用します。
艦が浮上し、厚い氷の縁に寄り添い、氷結するまで。
このような位置では、戦闘指揮信号を受信する能力を保持しているにもかかわらず、潜水艦の探知は事実上不可能です」

少将は説明した。

[潜水艦隊の将来]
第4世代のプロジェクト955「ボレイ」955A「ボレイ-A」ロケット艦は、今世紀中期までロシア海軍の戦略核戦力の基礎とならなければならない。
このような艦は、各々が16基の大陸間弾道ミサイルR-30「ブラヴァー」を搭載している。
この製品は9000キロメートル以上の距離を進む事が出来る。
水中巡洋艦「ボレイ-A」の完全な一斉射撃は数十個の目標を破壊できる。
ミサイルには分離弾頭が装備されており、弾頭の迎撃は殆ど不可能である。
現在、近代化されたプロジェクト955A「ボレイ-A」の下で水中ロケット艦が建造されている。
新たなヴァージョンでは、艦は、いわゆる瘤が無い状態となり、操舵室のすぐ後ろにミサイル発射プラットフォームがある。
巡洋艦の艦首部分の特徴的な突起は無くなり、その輪郭はより流線形になった。
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海軍司令部は、近代化された「ボレイ」が水中移動時により操艦しやすくなり、静粛になる事を既に指摘している。
加えて、これらは改善された兵器制御システムを得た。
最後に、新たな輪郭は潜水艦が深度をより長く保つ事を可能にする。

計画によると、2020年代末までに計12隻の「ボレイ」が建造される。
今日までに、これらの内の5隻が戦闘勤務に就いている:「ユーリー・ドルゴルーキー」「アレクサンドル・ネフスキー」「ウラジミール・モノマーフ」「クニャージ・ウラジーミール」「クニャージ・オレグ」
建造された艦は、北方艦隊太平洋艦隊へ均等に配分される。

再軍備プログラムによると、ロシアの核の三本柱の海上構成は、最終的には完全に「ボレイ」へ移行しなければならない。
現在、ソヴィエト時代に建造されたプロジェクト667BDRM「デリフィン」潜水艦は未だ残っているが、新しいプロジェクト955艦が到着すれば、これらは除籍される。

第4世代多目的潜水艦「ヤーセン」シリーズの作成は1993年に始まった。
トップ艦の建造には20年掛かった。
「セヴェロドヴィンスク」と命名された潜水艦は、2014年にようやく海軍へ引き渡された。
続くシリーズ艦は、既に近代化プロジェクト885M「ヤーセン-M」により建造されている。
これらの潜水艦は魚雷と、そして更に最新の有翼ミサイルを装備する。
そのお陰により、水上艦潜水艦のみならず、地上目標へも打撃を与える事が出来る。
艦の撃破の為には超音速の「オーニクス」を使用でき、陸上施設への打撃の為には射程1500キロメートル以上の「カリブル」が意図されている。
これに加え、『イズベスチヤ』が記したように、プロジェクト885M艦極超音速ミサイル「ツィルコン」の最初の搭載艦となる。

現在、プロジェクト「ヤーセン」の代表3隻が居る。
潜水艦「セヴェロドヴィンスク」「カザン」北方艦隊「ノヴォシビルスク」太平洋艦隊で勤務に就く。
今年中には潜水艦「クラスノヤルスク」が竣工し、太平洋艦隊へ引き渡されなければならない。

記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはヴィボルグへ向かった



『タス通信』より
2022年8月27日18時16分配信
【原子力潜水艦「レニンスキー・コムソモール」は曳航されてヴィボルグ近くの水域へ向かった】
サンクトペテルブルク、8月27日/タス通信

専門家は、クロンシュタット観光-レクリエーションクラスタ「フォルトフ島」の将来の海軍博物館の中心的な展示物とならなければならないソヴィエト原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」の輸送へ着手した。
土曜日に「フォルトフ島」広報サービスが報道陣へ話したように、潜水艦は早朝に曳航されてヴィボルグ造船工場水域へ向かった。
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「8月27日の夜明け、クロンシュタットの冬埠頭に係留されていたソヴィエト最初の原子力潜水艦K-3レニンスキー・コムソモールは曳航され、ヴィボルグ造船工場の水域へ向かいました。
ロシア連邦大統領からの委託の下で作成される観光-レクリエーションクラスタ・フォルトフ島の海軍の栄光博物館の建物へ国内海軍の伝説を動かす為のユニークな工学-物流操作の海上部門が始まりました」

声明では、こう述べられた。、

冬埠頭へ「レニンスキー・コムソモール」は約1ヶ月間滞在し、修復作業の後に休息した。
伝説の潜水艦は、このような作業を行なうロシアで唯一の荷船「アトラント」へ積載する為にヴィボルグ近くの水域へ運ばれる。
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この場所が選ばれたのは偶然では無く、ここでのみ「アトラント」は必要な水深約18メートルまで行く事が出来る為である。
観光-レクリエーションクラスタ作成プロジェクト室長クセニア・ショイグが指摘したように、輸送の為の操作は半年掛けて開発されたものであり、ロシアの専門家にとっては世界的に重要な挑戦である。
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「これは現実の工学的挑戦です:世界では誰もこのような事は行なっていません。
私達は特化した専門家と共にK-3を動かす為の様々な選択肢を分析しました。
その結果、時間と費用の面で最適なフィンランドの環境にとって安全な輸送方式が開発されました。
それはクロンシュタット市の通りの陸上移送と海上操作を組み合わせたものです」
『フォルトフ島』
広報サービスはクセニア・ショイグの談話を引用した。

潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」は1959年にソヴィエト社会主義共和国連邦海軍へ加入し、セヴェロドヴィンスクに駐留して1988年まで勤務し、29年間で5回の軍事作戦を完了した。
合計で14000時間以上海上に滞在し、約13000海里を航行した。
1991年にK-3は公式に海軍から除籍された。
博物艦としてK-3『フォルトフ島』文化クラスタの一員としてクロンシュタットへ建設される海軍の栄光博物館の中心的な展示物となる。



ソヴィエト連邦初の原子力潜水艦であるK-3は、プロジェクト627「キート」巡洋潜水艦(NATOコード名「ノヴェンバー」)の1番艦として、1956年9月24日にモロトフスク(現セヴェロドヴィンスク)第402造船工場(現セヴマシュ)で起工されました。
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1957年10月9日に進水した後に係留試験が始まり、翌1958年6月に終了しました。

1958年7月21日には、ソ連海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ提督、ソ連造船業相ボリス・ブトマが出席し、ソ連邦海軍旗の初掲揚式典が開催されました。
この時点で、K-3は未だ航海試験も始まっていませんでした。

1958年7月3日、工場航行試験をすっ飛ばして、いきなり国家受領試験が始まりました。
翌7月4日10時3分、初めてK-3原子力機関が始動しました。

1958年8月には潜水航行試験が行なわれました。

1958年11月26日から12月2日まで白海で潜航試験が行なわれ、深度310mまで潜航しました。

1958年12月17日、巡洋潜水艦K-3受領証書への署名が行なわれ、ソ連海軍へ納入されました。

しかし、初めての原子力潜水艦という事も有り、色々と問題点が発覚した為、1958年1月には「試験運用」へ移行しました。
プロジェクト627の2番艦以降は、改良型のプロジェクト627Aとして建造されることになりました。

翌1959年も白海で各種試験に従事し、同年10月下旬に、ようやく白海からバレンツ海北方艦隊基地ザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ移動しました。
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1959年11月1日から15日まで初の遠距離航海を行ない、グリーンランド付近まで進出しましたが、浮上時に氷に衝突して損傷しました。

帰港後、1959年12月から1960年5月までセヴェロドヴィンスク「セヴマシュ」で修理と近代化改装を行ない、新たな航法複合体が設置されました。

1960年12月から1961年2月まで「セヴマシュ」で係留試験が行なわれました。

1961年5月26日から8月7日まで航海試験が行なわれ、再びザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ配備されました。

1961年9月17日から31日までカラ海において、北極海での水中航行時の航法複合体の動作試験が行なわれました。
この間、9月20日から24日まで魚雷の実弾射撃を実施しています。

1962年7月4日から21日まで検査航海を行なった後、7月11日から21日まで北極圏航海を行ないました。
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水中航行中に原子炉の冷却循環ポンプが故障し、潜航したまま修理を行なっています。

1962年9月に核燃料棒の不備が発覚し、セヴェロドヴィンスクへ回航されました。

1962年10月9日、「レニンスキー・コムソモール」(レーニン共産党青年団)と命名されました。

1963年2月26日から1965年10月29日まで原子炉の交換と近代化改装が行なわれました。
撤去された核燃料棒はカラ海へ投棄されました。

1965年10月29日から11月7日まで航海試験を行ない、同年11月24日に海軍へ引き渡され、11月29日にはザーパドナヤ・リツァへ戻りました。

1965年12月17日、ソ連の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリン「レニンスキー・コムソモール」を訪れました。

1966年3月23日に白海で氷に衝突して潜望鏡を曲げました。

1966年7月10日から8月29日まで遠距離航海を行ない、大西洋、サルガッソー海、メキシコ湾まで進出し、魚雷発射訓練を行ないました。

1967年3月12日から4月30日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で船体のメンテナンスが行なわれました。
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1967年7月10日から9月11日まで遠距離航海を行ない、地中海へ進出しました。
地中海から戻る途中の9月4日、ノルウェイ海で火災事故を起こし(第1区画から出火し、第2区画に延焼)、乗員39名が死亡しました。
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1967年9月14日から11月5日までセヴェロドヴィンスクで修理が行なわれました。

1968年7月21日から29日までワルシャワ条約機構諸国海軍北方艦隊バルト艦隊の合同演習へ参加しました。

1968年12月8日からポリャールヌイ第10艦船修理工場でオーバーホールが行なわれ、1971年12月28日に復帰しました。

1972年1月にはグレミハ基地へ移動しました。
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1972年10月29日から11月5日まで演習を行ないました。

1973年5月12日から6月1日まで遠距離航海を行ない、大西洋地中海へ進出しました。

1975年2月に第7区画で火災が発生し乗員2名が重傷を負いました。

1975年4月24日から6月13日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1976年1月31日から2月21日までグレミハの浮きドックで定期修理が行なわれました。

同年6月1日から27日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1977年7月25日、「大型潜水艦」に再分類されました。

1977年12月29日からポリャールヌイ第10艦船修理工場で定期修理が始まりました。

1978年1月8日、修理中に火災が発生しました。

1978年12月30日に修理を終えて復帰しました。

1982年5月25日から6月25日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1985年1月から9月末までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1985年には、「オケアン-85」、「大西洋-85」、「北方-85」といった大規模演習へ参加しました。

1985年7月2日から27日までノルウェイ海で哨戒活動を実施しました。

1986年4月からポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が始まりました。

しかし修理は完了する事無く、1987年10月17日には海軍の戦闘編制から除外されました(事実上の退役)。

1988年9月9日には練習船となり、グレミハ基地に固定されました。

1989年3月14日、B-3と改称されました。

1991年には北方艦隊の編制表から消されました。

1993年9月30日、正式に海軍から除籍されました。

その後も係留保管されていましたが、2002年11月にポリャールヌイ第10艦船修理工場へ到着しました。

2003年5月30日から7月3日に使用済み核燃料が撤去されました。

2005年10月28日にはスネシュノゴルスク艦船修理工場『ネルパ』へ回航され、博物館への改装が行なわれる事になりました。
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2007年以降、原子炉区画が撤去され、代わりのダミー区画が製造されました。
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2017年2月に再進水する予定でしたが、半年以上遅れ、2017年9月8日になりました。
[ソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは記念艦となる]
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは再び進水した]


当初、「レニンスキー・コムソモール」は、ムルマンスクで保存されている原子力砕氷船「レーニン」の隣で展示される予定でした。
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しかしその後、クロンシュタットフォルトフ島で展示される事になりました。


艦船修理工場『ネルパ』は、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットへの移動の為に準備作業を行ないました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ回航される]

2021年8月19日、浮きドックへ載せられた「レニンスキー・コムソモール」『ネルパ』埠頭を離れました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ向かう]

8月26日にクロンシュタットへの移動を開始しました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへの移動を開始した]

「レニンスキー・コムソモール」白海ベロモルスクへ行き、そこから内陸水路へ入りました。


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9月13日にスヴィリ川へ入りました。
『ロシア連邦国防省公式サイト』より
ロシア北方艦隊広報サービス発表
2021年9月13日14時0分配信
【原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」を載せた浮きドック「スヴィヤガ」はサンクトペテルブルクの『北方造船所』への曳航中にスヴィリ川へ入った】

9月21日にサンクトペテルブルク『北方造船所』へ到着しました。
『タス通信』より
2021年9月21日23時1分配信
【ソヴィエト社会主義共和国連邦初の原子力潜水艦K-3はサンクトペテルブルクへ到着した】
ここで浮きドックから出渠した後にクロンシュタットへ向かいました。
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10月1日にクロンシュタットへ到着しました。


2021年12月中旬に『クロンシュタット海洋工場』乾ドックへ入渠しました。
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2022年5月18日、乾ドックで修理作業中の「レニンスキー・コムソモール」の足場に溶接の火が引火した事による火災事故が発生しました。
『ロシア通信社ノーボスチ』より
2022年5月18日9時48分配信
【クロンシュタットでの原子力潜水艦「レニンスキー・コムソモール」の火災の原因が突き止められた】

「レニンスキー・コムソモール」の修復の為、ロシア海軍は純正部品を提供しました。
『Paluba Media』より
2022年5月26日10時46分配信
【ロシア海軍は原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」修復の為に純正の交換部品を提供する】

2022年6月22日に乾ドックを出渠しました。
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8月27日、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットからヴィボルグへ向かいました。
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「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットフォルトフ島へ建設される海軍栄光博物館で展示する為に陸上へ上げる必要が有りますが、その為には特殊浮きドック「アトラント」を使わなければならず、更には、この作業を行なう為には18メートルの水深が必要なのですが、その場所がクロンシュタット周辺ではヴィボルグ付近にしか無い為、一旦「レニンスキー・コムソモール」ヴィボルグまで持って行く事になりました。

ヴィボルグ特殊浮きドック「アトラント」へ載せられた後、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットへ戻ります。


なお、今回の記事に登場するクセニア・ショイグは、ロシア連邦国防相セルゲイ・ショイグの娘です。
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ルビーン設計局はリチウムイオン電池潜水艦アムール e600を開発する

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『ロシア通信社ノーボスチ』より
2022年8月16日10時3分配信
【中央設計局『ルビーン』は電池潜水艦プロジェクト「アムール-e600」を開発した】
クビンカ (モスクワ州)、8月16日-ロシア通信社ノーボスチ

中央設計局『ルビーン』は、リチウムイオン電池の使用により、排水量わずか600トンで17日までの水中自立性を持つ最新の完全電池潜水艦プロジェクト「アムール-e600」を開発した。
『ロシア通信社ノーボスチ』は火曜日に中央設計局『ルビーン』の代理人より伝えられた。

このプロジェクトは、フォーラム『アルミヤ-2022』で発表された。
運用中のプロジェクト677「ラーダ」潜水艦(輸出名「アムール」)はディーゼルエレクトリックである。

「排水量約600トンの完全電池小型潜水艦は、『アルミヤ-2022』展示会で中央設計局『ルビーン』により示されています。
単殻船体の建造方式のプロジェクト艦はアムールファミリーに属しており、アムール e600と命名されました。
ファミリーの他の潜水艦と異なるのは、新たなプロジェクトの主要動力源は大容量のリチウムイオン電池であり、小型の予備ディーゼル発電機により補完されます。
プロジェクトの主な長所は、コンパクトな寸法と高い水中自立性です:速力4ノットで潜水艦は14~17日間水中に滞在できます。
これは、非大気依存発電装置を持つより大型の潜水艦の継続水中自立性に相当します」
『ルビーン』
の代理人は話した。

彼は更に、航続距離は約1500海里になると述べた。
プロジェクトでは、エネルギーの消費を最小限に抑える事を目的とした多くの解決策が使用された。
その中で最も顕著なのは、収納式装置(セイル)が無い事であり、これを断念する事により航行中の消費電力が低減する。



ロシア潜水艦設計局である海洋工学中央設計局『ルビーン』は、通常動力潜水艦の為の新たな非大気依存発電装置(AIP機関)改質型燃料電池の開発を進めています。
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[ロシア海軍の通常動力潜水艦の為の非大気依存発電装置(改質型燃料電池)は2023年末に作成される]

この非大気依存機関は、2011年12月初頭に陸上試験の最初の段階を終えています。
[ロシアは新たなAIP機関の試験を終えた]

その一方で『ルビーン』は、潜水艦用のリチウムイオン電池の開発も進めており、2014年12月には陸上での試験に成功しています。
[ロシアは潜水艦用のリチウムイオン電池の試験に成功した]

2022年8月15日から21日までモスクワ州クビンカ『愛国者公園』で開催される国際軍事技術フォーラム『アルミヤ-2022』で、『ルビーン』リチウムイオン電池搭載の小型潜水艦「アムール e600」を初めて公表しました。
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「アムール e600」ディーゼルエレクトリック推進では無く、エレクトリック推進のみの潜水艦となっています。
(予備動力として小型のディーゼルエンジンは搭載しますが)