
『インタファクス-軍事ニュース出張所(AVN)』より
2017年9月8日20時53分配信
【博物館となるソヴィエト初の原子力潜水艦「レニンスキー・コムソモール」は北極圏で進水した】ムルマンスク、9月8日、インタファクス-AVNソヴィエト初の
原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」は、金曜日に
艦船修理工場『ネルパ』(閉鎖行政地域アレクサンドロフスク、ムルマンスク州、株式会社
『艦船修理センター・ズヴェズドーチカ』支所)の水域で進水した。
「工場は、潜水艦を密閉し、今や伝説となった潜水艦を進水させる為の複雑な作業を行ないました」
艦船修理工場『ネルパ』のブログは伝えた。
現在、
「レニンスキー・コムソモール」は、
艦船修理工場の浮き埠頭へ係留されている。
以前、
潜水艦の進水は今年2月に、その後、4月に計画されていた事を
インタファクスは
『ネルパ』広報サービスより伝えられた。
ロシア連邦政府海洋協議会のメンバー、
ムルマンスク州議員、元
北方艦隊司令官
ヴャチェスラフ・ポポフ提督は、海洋協議会が
K-3の博物館化の問題に関する作業を続けている事を指摘した。
今後に博物館が置かれる場所は未だ決まっていないが、提督は、 「レニンスキー・コムソモール」がムルマンスクへ永遠に停泊するであろうと確信している~
原子力砕氷船博物館「レーニン」の近くに。
、
「レニンスキー・コムソモール」は、
ソヴィエトで最初の、世界で3番目の
原子力潜水艦であり、1957年に進水した。
1967年、戦闘勤務中に第1及び第2区画で火災が発生したが故に、
原子力潜水艦では39名が死亡した。
1991年、
潜水艦は
海軍の編制から除外された。
K-3の動力区画(原子炉区画)は2007年に撤去され、長期保管のために
サイダ湾へ送られた。
ロスアトムとの契約下で
工場は実物大摸擬区画を作成した。
現在、
原子力潜水艦は
艦船修理工場『ネルパ』で永久保存されている。
ソヴィエト連邦初の
原子力潜水艦である
K-3は、
プロジェクト627「キト」巡洋潜水艦(NATOコード名「ノヴェンバー」)の1番艦として、1956年9月24日に
モロトフスク(現セヴェロドヴィンスク)の
第402造船工場(現セヴマシュ)で起工されました。

1957年10月9日に進水した後に
係留試験が始まり、翌1958年6月に終了しました。
1958年7月21日には、
ソ連海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ提督、ソ連造船業相ボリス・ブートマが出席し、
ソ連邦海軍旗の初掲揚式典が開催されました。
この時点で、
K-3は未だ航海試験も始まっていませんでした。
1958年7月3日、
工場航行試験をすっ飛ばして、いきなり
国家受領試験が始まりました。
翌7月4日10時3分、初めて
K-3の
原子力機関が始動しました。
1958年8月には潜水航行試験が行なわれました。
1958年11月26日から12月2日まで
白海で潜航試験が行なわれ、深度310mまで潜航しました。
1958年12月17日、
巡洋潜水艦K-3の
受領証書への署名が行なわれ、
ソ連海軍へ納入されました。
しかし、初めての
原子力潜水艦という事も有り、色々と問題点が発覚した為、1958年1月には
「試験運用」へ移行しました。
プロジェクト627の2番艦以降は、改良型の
プロジェクト627Aとして建造されることになりました。
翌1959年も
白海で各種試験に従事し、同年10月下旬に、ようやく
白海から
バレンツ海の
北方艦隊基地ザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ移動しました。

1959年11月1日から15日まで初の遠距離航海を行ない、
グリーンランド付近まで進出しましたが、浮上時に氷に衝突して損傷しました。
帰港後、1959年12月から1960年5月まで
セヴェロドヴィンスクの
「セヴマシュ」で修理と近代化改装を行ない、新たな
航法複合体が設置されました。
1960年12月から1961年2月まで
「セヴマシュ」で係留試験が行なわれました。
1961年5月26日から8月7日まで航海試験が行なわれ、再び
ザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ配備されました。
1961年9月17日から31日まで
カラ海において、
北極海での水中航行時の
航法複合体の動作試験が行なわれました。
この間、9月20日から24日まで魚雷の実弾射撃を実施しています。
1962年7月4日から21日まで検査航海を行なった後、7月11日から21日まで
北極圏航海を行ないました。

水中航行中に原子炉の冷却循環ポンプが故障し、潜航したまま修理を行なっています。
1962年9月に核燃料棒の不備が発覚し、
セヴェロドヴィンスクへ回航されました。
1962年10月9日、
「レニンスキー・コムソモール」(レーニン共産党青年団)と命名されました。
1963年2月26日から1965年10月29日まで
原子炉の交換と近代化改装が行なわれました。
撤去された核燃料棒は
カラ海へ投棄されました。
1965年10月29日から11月7日まで航海試験を行ない、同年11月24日に
海軍へ引き渡され、11月29日には
ザーパドナヤ・リツァへ戻りました。
1965年12月17日、
ソ連の宇宙飛行士
ユーリー・ガガーリンが
「レニンスキー・コムソモール」を訪れました。
1966年3月23日に
白海で氷に衝突して潜望鏡を曲げました。
1966年7月10日から8月29日まで遠距離航海を行ない、
大西洋、サルガッソー海、メキシコ湾まで進出し、魚雷発射訓練を行ないました。
1967年3月12日から4月30日まで
ポリャールヌイの
第10艦船修理工場で船体のメンテナンスが行なわれました。

1967年7月10日から9月11日まで遠距離航海を行ない、
地中海へ進出しました。
地中海から戻る途中の9月4日、
ノルウェイ海で火災事故を起こし(第1区画から出火し、第2区画に延焼)、乗員39名が死亡しました。

1967年9月14日から11月5日まで
セヴェロドヴィンスクで修理が行なわれました。
1968年7月21日から29日まで
ワルシャワ条約機構諸国海軍と
北方艦隊と
バルト艦隊の合同演習へ参加しました。
1968年12月8日から
ポリャールヌイの
第10艦船修理工場でオーバーホールが行なわれ、1971年12月28日に復帰しました。
1972年1月には
グレミハ基地へ移動しました。

1972年10月29日から11月5日まで演習を行ないました。
1973年5月12日から6月1日まで遠距離航海を行ない、
大西洋と
地中海へ進出しました。
1975年2月に
第7区画で火災が発生し乗員2名が重傷を負いました。
1975年4月24日から6月13日まで
バレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。
1976年1月31日から2月21日まで
グレミハの浮きドックで定期修理が行なわれました。
同年6月1日から27日まで
ポリャールヌイの
第10艦船修理工場で修理が行なわれました。
1977年7月25日、
「大型潜水艦」に再分類されました。
1977年12月29日から
ポリャールヌイの
第10艦船修理工場で定期修理が始まりました。
1978年1月8日、修理中に火災が発生しました。
1978年12月30日に修理を終えて復帰しました。
1982年5月25日から6月25日まで
バレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。
1985年1月から9月末まで
ポリャールヌイの
第10艦船修理工場で修理が行なわれました。
1985年には、
「オケアン-85」、「大西洋-85」、「北方-85」といった大規模演習へ参加しました。
1985年7月2日から27日まで
ノルウェイ海で哨戒活動を実施しました。
1986年4月から
ポリャールヌイの
第10艦船修理工場で修理が始まりました。
しかし修理は完了する事無く、1987年10月17日には
海軍の戦闘編制から除外されました(事実上の退役)。
1988年9月9日には
練習船となり、
グレミハ基地に固定されました。
1989年3月14日、
B-3と改称されました。
1991年には
北方艦隊の編制表から消されました。
1993年9月30日、正式に
海軍から除籍されました。
その後も係留保管されていましたが、2002年11月に
ポリャールヌイの
第10艦船修理工場へ到着しました。
2003年5月30日から7月3日に使用済み核燃料が撤去されました。
2005年10月28日には
スネシュノゴルスクの
艦船修理工場『ネルパ』へ回航され、博物館への改装が行なわれる事になりました。

2007年以降、
原子炉区画が撤去され、代わりのダミー区画が製造されました。

2017年2月に再進水する予定でしたが、半年以上遅れ、2017年9月8日になりました。
[ソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは記念艦となる]「レニンスキー・コムソモール」は、
ムルマンスクで保存されている
原子力砕氷船「レーニン」の隣に置かれる事になるようです。

