『タス通信』 より
2021年7月22日17時45分配信
【ソヴィエト初の原子力艦K-3はクロンシュタットの博物館の展示品となる準備を進めている】 モスクワ、7月22日/タス通信 プロジェクト627原子力潜水艦 のトップ
K-3「レニンスキー・コムソモール」 は
ムルマンスク州 の
スネシュノゴルスク から
クロンシュタット への移動を準備しており、
海軍の栄光博物館 の展示品となる。
『タス通信』 は木曜日に
防衛産業企業体 の情報提供者より伝えられた。
「ソヴィエト初の原子力潜水艦K-3レニンスキー・コムソモールは博物館化を完了し、近い内にスネシュノゴルスクからクロンシュタットへの移動に向けた準備を進めています。 そこで伝説的な艦は、フォルトフ島~海軍の栄光博物館の最も重要な展示品となります」 対談者は話した。
彼によると、
原子力艦 は
海軍博物館 としての任務を遂行する準備を完全に整えている。
現在、艦隊間移動の詳細へ取り組んでいる。
彼は、
原子力潜水艦 の
博物館 展示品への改装の為の文書の開発には、
プロジェクト627 を開発した
サンクトペテルブルク機械製造局『マラヒート』 が従事した事を想い起こした。
K-3「レニンスキー・コムソモール」 は、
ソヴィエト 初にして世界で第3の
原子力潜水艦 であり、
プロジェクト627「キート」 のトップ艦である。
VIDEO VIDEO ソヴィエト連邦 初の
原子力潜水艦 である
K-3 は、
プロジェクト627「キート」巡洋潜水艦(NATOコード名「ノヴェンバー」) の1番艦として、1956年9月24日に
モロトフスク(現セヴェロドヴィンスク) の
第402造船工場(現セヴマシュ) で起工されました。
1957年10月9日に進水した後に
係留試験 が始まり、翌1958年6月に終了しました。
1958年7月21日には、
ソ連海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ提督、ソ連造船業相ボリス・ブトマ が出席し、
ソ連邦海軍旗 の初掲揚式典が開催されました。
この時点で、
K-3 は未だ航海試験も始まっていませんでした。
1958年7月3日、
工場航行試験 をすっ飛ばして、いきなり
国家受領試験 が始まりました。
翌7月4日10時3分、初めて
K-3 の
原子力機関 が始動しました。
1958年8月には潜水航行試験が行なわれました。
1958年11月26日から12月2日まで
白海 で潜航試験が行なわれ、深度310mまで潜航しました。
1958年12月17日、
巡洋潜水艦K-3 の
受領証書 への署名が行なわれ、
ソ連海軍 へ納入されました。
しかし、初めての
原子力潜水艦 という事も有り、色々と問題点が発覚した為、1958年1月には
「試験運用」 へ移行しました。
プロジェクト627 の2番艦以降は、改良型の
プロジェクト627A として建造されることになりました。
翌1959年も
白海 で各種試験に従事し、同年10月下旬に、ようやく
白海 から
バレンツ海 の
北方艦隊基地ザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク) へ移動しました。
1959年11月1日から15日まで初の遠距離航海を行ない、
グリーンランド 付近まで進出しましたが、浮上時に氷に衝突して損傷しました。
帰港後、1959年12月から1960年5月まで
セヴェロドヴィンスク の
「セヴマシュ」 で修理と近代化改装を行ない、新たな
航法複合体 が設置されました。
1960年12月から1961年2月まで
「セヴマシュ」 で係留試験が行なわれました。
1961年5月26日から8月7日まで航海試験が行なわれ、再び
ザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク) へ配備されました。
1961年9月17日から31日まで
カラ海 において、
北極海 での水中航行時の
航法複合体 の動作試験が行なわれました。
この間、9月20日から24日まで魚雷の実弾射撃を実施しています。
1962年7月4日から21日まで検査航海を行なった後、7月11日から21日まで
北極圏航海 を行ないました。
水中航行中に原子炉の冷却循環ポンプが故障し、潜航したまま修理を行なっています。
1962年9月に核燃料棒の不備が発覚し、
セヴェロドヴィンスク へ回航されました。
1962年10月9日、
「レニンスキー・コムソモール」(レーニン共産党青年団) と命名されました。
1963年2月26日から1965年10月29日まで
原子炉 の交換と近代化改装が行なわれました。
撤去された核燃料棒は
カラ海 へ投棄されました。
1965年10月29日から11月7日まで航海試験を行ない、同年11月24日に
海軍 へ引き渡され、11月29日には
ザーパドナヤ・リツァ へ戻りました。
1965年12月17日、
ソ連 の宇宙飛行士
ユーリー・ガガーリン が
「レニンスキー・コムソモール」 を訪れました。
1966年3月23日に
白海 で氷に衝突して潜望鏡を曲げました。
1966年7月10日から8月29日まで遠距離航海を行ない、
大西洋、サルガッソー海、メキシコ湾 まで進出し、魚雷発射訓練を行ないました。
1967年3月12日から4月30日まで
ポリャールヌイ の
第10艦船修理工場 で船体のメンテナンスが行なわれました。
1967年7月10日から9月11日まで遠距離航海を行ない、
地中海 へ進出しました。
地中海 から戻る途中の9月4日、
ノルウェイ海 で火災事故を起こし(第1区画から出火し、第2区画に延焼)、乗員39名が死亡しました。
1967年9月14日から11月5日まで
セヴェロドヴィンスク で修理が行なわれました。
1968年7月21日から29日まで
ワルシャワ条約機構諸国海軍 と
北方艦隊 と
バルト艦隊 の合同演習へ参加しました。
1968年12月8日から
ポリャールヌイ の
第10艦船修理工場 でオーバーホールが行なわれ、1971年12月28日に復帰しました。
1972年1月には
グレミハ基地 へ移動しました。
1972年10月29日から11月5日まで演習を行ないました。
1973年5月12日から6月1日まで遠距離航海を行ない、
大西洋 と
地中海 へ進出しました。
1975年2月に
第7区画 で火災が発生し乗員2名が重傷を負いました。
1975年4月24日から6月13日まで
バレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海 で哨戒活動を実施しました。
1976年1月31日から2月21日まで
グレミハ の浮きドックで定期修理が行なわれました。
同年6月1日から27日まで
ポリャールヌイ の
第10艦船修理工場 で修理が行なわれました。
1977年7月25日、
「大型潜水艦」 に再分類されました。
1977年12月29日から
ポリャールヌイ の
第10艦船修理工場 で定期修理が始まりました。
1978年1月8日、修理中に火災が発生しました。
1978年12月30日に修理を終えて復帰しました。
1982年5月25日から6月25日まで
バレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海 で哨戒活動を実施しました。
1985年1月から9月末まで
ポリャールヌイ の
第10艦船修理工場 で修理が行なわれました。
1985年には、
「オケアン-85」、「大西洋-85」、「北方-85」 といった大規模演習へ参加しました。
1985年7月2日から27日まで
ノルウェイ海 で哨戒活動を実施しました。
1986年4月から
ポリャールヌイ の
第10艦船修理工場 で修理が始まりました。
しかし修理は完了する事無く、1987年10月17日には
海軍 の戦闘編制から除外されました(事実上の退役)。
1988年9月9日には
練習船 となり、
グレミハ基地 に固定されました。
1989年3月14日、
B-3 と改称されました。
1991年には
北方艦隊 の編制表から消されました。
1993年9月30日、正式に
海軍 から除籍されました。
その後も係留保管されていましたが、2002年11月に
ポリャールヌイ の
第10艦船修理工場 へ到着しました。
2003年5月30日から7月3日に使用済み核燃料が撤去されました。
2005年10月28日には
スネシュノゴルスク の
艦船修理工場『ネルパ』 へ回航され、博物館への改装が行なわれる事になりました。
2007年以降、
原子炉区画 が撤去され、代わりのダミー区画が製造されました。
2017年2月に再進水する予定でしたが、半年以上遅れ、2017年9月8日になりました。
VIDEO [ソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは記念艦となる] [記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは再び進水した] VIDEO 当初、
「レニンスキー・コムソモール」 は、
ムルマンスク で保存されている
原子力砕氷船「レーニン」 の隣で展示される予定でした。
しかしその後、
クロンシュタット の
フォルトフ島 で展示される事になりました。
VIDEO VIDEO 「レニンスキー・コムソモール」 は、近い内に
クロンシュタット へ回航されるようです。