記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはヴィボルグへ向かった
- カテゴリ:ロシアの潜水艦
『タス通信』より
2022年8月27日18時16分配信
【原子力潜水艦「レニンスキー・コムソモール」は曳航されてヴィボルグ近くの水域へ向かった】
サンクトペテルブルク、8月27日/タス通信
専門家は、クロンシュタットの観光-レクリエーションクラスタ「フォルトフ島」の将来の海軍博物館の中心的な展示物とならなければならないソヴィエトの原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」の輸送へ着手した。
土曜日に「フォルトフ島」広報サービスが報道陣へ話したように、潜水艦は早朝に曳航されてヴィボルグ造船工場水域へ向かった。


「8月27日の夜明け、クロンシュタットの冬埠頭に係留されていたソヴィエト最初の原子力潜水艦K-3レニンスキー・コムソモールは曳航され、ヴィボルグ造船工場の水域へ向かいました。
ロシア連邦大統領からの委託の下で作成される観光-レクリエーションクラスタ・フォルトフ島の海軍の栄光博物館の建物へ国内海軍の伝説を動かす為のユニークな工学-物流操作の海上部門が始まりました」
声明では、こう述べられた。、
冬埠頭へ「レニンスキー・コムソモール」は約1ヶ月間滞在し、修復作業の後に休息した。
伝説の潜水艦は、このような作業を行なうロシアで唯一の荷船「アトラント」へ積載する為にヴィボルグ近くの水域へ運ばれる。

この場所が選ばれたのは偶然では無く、ここでのみ「アトラント」は必要な水深約18メートルまで行く事が出来る為である。
観光-レクリエーションクラスタ作成プロジェクト室長クセニア・ショイグが指摘したように、輸送の為の操作は半年掛けて開発されたものであり、ロシアの専門家にとっては世界的に重要な挑戦である。

「これは現実の工学的挑戦です:世界では誰もこのような事は行なっていません。
私達は特化した専門家と共にK-3を動かす為の様々な選択肢を分析しました。
その結果、時間と費用の面で最適なフィンランドの環境にとって安全な輸送方式が開発されました。
それはクロンシュタット市の通りの陸上移送と海上操作を組み合わせたものです」
『フォルトフ島』広報サービスはクセニア・ショイグの談話を引用した。
潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」は1959年にソヴィエト社会主義共和国連邦海軍へ加入し、セヴェロドヴィンスクに駐留して1988年まで勤務し、29年間で5回の軍事作戦を完了した。
合計で14000時間以上海上に滞在し、約13000海里を航行した。
1991年にK-3は公式に海軍から除籍された。
博物艦としてK-3は『フォルトフ島』文化クラスタの一員としてクロンシュタットへ建設される海軍の栄光博物館の中心的な展示物となる。
ソヴィエト連邦初の原子力潜水艦であるK-3は、プロジェクト627「キート」巡洋潜水艦(NATOコード名「ノヴェンバー」)の1番艦として、1956年9月24日にモロトフスク(現セヴェロドヴィンスク)の第402造船工場(現セヴマシュ)で起工されました。

1957年10月9日に進水した後に係留試験が始まり、翌1958年6月に終了しました。
1958年7月21日には、ソ連海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ提督、ソ連造船業相ボリス・ブトマが出席し、ソ連邦海軍旗の初掲揚式典が開催されました。
この時点で、K-3は未だ航海試験も始まっていませんでした。
1958年7月3日、工場航行試験をすっ飛ばして、いきなり国家受領試験が始まりました。
翌7月4日10時3分、初めてK-3の原子力機関が始動しました。
1958年8月には潜水航行試験が行なわれました。
1958年11月26日から12月2日まで白海で潜航試験が行なわれ、深度310mまで潜航しました。
1958年12月17日、巡洋潜水艦K-3の受領証書への署名が行なわれ、ソ連海軍へ納入されました。
しかし、初めての原子力潜水艦という事も有り、色々と問題点が発覚した為、1958年1月には「試験運用」へ移行しました。
プロジェクト627の2番艦以降は、改良型のプロジェクト627Aとして建造されることになりました。
翌1959年も白海で各種試験に従事し、同年10月下旬に、ようやく白海からバレンツ海の北方艦隊基地ザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ移動しました。

1959年11月1日から15日まで初の遠距離航海を行ない、グリーンランド付近まで進出しましたが、浮上時に氷に衝突して損傷しました。
帰港後、1959年12月から1960年5月までセヴェロドヴィンスクの「セヴマシュ」で修理と近代化改装を行ない、新たな航法複合体が設置されました。
1960年12月から1961年2月まで「セヴマシュ」で係留試験が行なわれました。
1961年5月26日から8月7日まで航海試験が行なわれ、再びザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ配備されました。
1961年9月17日から31日までカラ海において、北極海での水中航行時の航法複合体の動作試験が行なわれました。
この間、9月20日から24日まで魚雷の実弾射撃を実施しています。
1962年7月4日から21日まで検査航海を行なった後、7月11日から21日まで北極圏航海を行ないました。

水中航行中に原子炉の冷却循環ポンプが故障し、潜航したまま修理を行なっています。
1962年9月に核燃料棒の不備が発覚し、セヴェロドヴィンスクへ回航されました。
1962年10月9日、「レニンスキー・コムソモール」(レーニン共産党青年団)と命名されました。
1963年2月26日から1965年10月29日まで原子炉の交換と近代化改装が行なわれました。
撤去された核燃料棒はカラ海へ投棄されました。
1965年10月29日から11月7日まで航海試験を行ない、同年11月24日に海軍へ引き渡され、11月29日にはザーパドナヤ・リツァへ戻りました。
1965年12月17日、ソ連の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンが「レニンスキー・コムソモール」を訪れました。
1966年3月23日に白海で氷に衝突して潜望鏡を曲げました。
1966年7月10日から8月29日まで遠距離航海を行ない、大西洋、サルガッソー海、メキシコ湾まで進出し、魚雷発射訓練を行ないました。
1967年3月12日から4月30日までポリャールヌイの第10艦船修理工場で船体のメンテナンスが行なわれました。

1967年7月10日から9月11日まで遠距離航海を行ない、地中海へ進出しました。
地中海から戻る途中の9月4日、ノルウェイ海で火災事故を起こし(第1区画から出火し、第2区画に延焼)、乗員39名が死亡しました。

1967年9月14日から11月5日までセヴェロドヴィンスクで修理が行なわれました。
1968年7月21日から29日までワルシャワ条約機構諸国海軍と北方艦隊とバルト艦隊の合同演習へ参加しました。
1968年12月8日からポリャールヌイの第10艦船修理工場でオーバーホールが行なわれ、1971年12月28日に復帰しました。
1972年1月にはグレミハ基地へ移動しました。

1972年10月29日から11月5日まで演習を行ないました。
1973年5月12日から6月1日まで遠距離航海を行ない、大西洋と地中海へ進出しました。
1975年2月に第7区画で火災が発生し乗員2名が重傷を負いました。
1975年4月24日から6月13日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。
1976年1月31日から2月21日までグレミハの浮きドックで定期修理が行なわれました。
同年6月1日から27日までポリャールヌイの第10艦船修理工場で修理が行なわれました。
1977年7月25日、「大型潜水艦」に再分類されました。
1977年12月29日からポリャールヌイの第10艦船修理工場で定期修理が始まりました。
1978年1月8日、修理中に火災が発生しました。
1978年12月30日に修理を終えて復帰しました。
1982年5月25日から6月25日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。
1985年1月から9月末までポリャールヌイの第10艦船修理工場で修理が行なわれました。
1985年には、「オケアン-85」、「大西洋-85」、「北方-85」といった大規模演習へ参加しました。
1985年7月2日から27日までノルウェイ海で哨戒活動を実施しました。
1986年4月からポリャールヌイの第10艦船修理工場で修理が始まりました。
しかし修理は完了する事無く、1987年10月17日には海軍の戦闘編制から除外されました(事実上の退役)。
1988年9月9日には練習船となり、グレミハ基地に固定されました。
1989年3月14日、B-3と改称されました。
1991年には北方艦隊の編制表から消されました。
1993年9月30日、正式に海軍から除籍されました。
その後も係留保管されていましたが、2002年11月にポリャールヌイの第10艦船修理工場へ到着しました。
2003年5月30日から7月3日に使用済み核燃料が撤去されました。
2005年10月28日にはスネシュノゴルスクの艦船修理工場『ネルパ』へ回航され、博物館への改装が行なわれる事になりました。



2007年以降、原子炉区画が撤去され、代わりのダミー区画が製造されました。

2017年2月に再進水する予定でしたが、半年以上遅れ、2017年9月8日になりました。
[ソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは記念艦となる]
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは再び進水した]
当初、「レニンスキー・コムソモール」は、ムルマンスクで保存されている原子力砕氷船「レーニン」の隣で展示される予定でした。


しかしその後、クロンシュタットのフォルトフ島で展示される事になりました。
艦船修理工場『ネルパ』は、「レニンスキー・コムソモール」のクロンシュタットへの移動の為に準備作業を行ないました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ回航される]
2021年8月19日、浮きドックへ載せられた「レニンスキー・コムソモール」は『ネルパ』埠頭を離れました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ向かう]
8月26日にクロンシュタットへの移動を開始しました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへの移動を開始した]
「レニンスキー・コムソモール」は白海のベロモルスクへ行き、そこから内陸水路へ入りました。


9月13日にスヴィリ川へ入りました。
『ロシア連邦国防省公式サイト』より
ロシア北方艦隊広報サービス発表
2021年9月13日14時0分配信
【原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」を載せた浮きドック「スヴィヤガ」はサンクトペテルブルクの『北方造船所』への曳航中にスヴィリ川へ入った】
9月21日にサンクトペテルブルクの『北方造船所』へ到着しました。
『タス通信』より
2021年9月21日23時1分配信
【ソヴィエト社会主義共和国連邦初の原子力潜水艦K-3はサンクトペテルブルクへ到着した】
ここで浮きドックから出渠した後にクロンシュタットへ向かいました。

10月1日にクロンシュタットへ到着しました。
2021年12月中旬に『クロンシュタット海洋工場』の乾ドックへ入渠しました。


2022年5月18日、乾ドックで修理作業中の「レニンスキー・コムソモール」の足場に溶接の火が引火した事による火災事故が発生しました。
『ロシア通信社ノーボスチ』より
2022年5月18日9時48分配信
【クロンシュタットでの原子力潜水艦「レニンスキー・コムソモール」の火災の原因が突き止められた】
「レニンスキー・コムソモール」の修復の為、ロシア海軍は純正部品を提供しました。
『Paluba Media』より
2022年5月26日10時46分配信
【ロシア海軍は原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」修復の為に純正の交換部品を提供する】
2022年6月22日に乾ドックを出渠しました。


8月27日、「レニンスキー・コムソモール」はクロンシュタットからヴィボルグへ向かいました。


「レニンスキー・コムソモール」はクロンシュタットのフォルトフ島へ建設される海軍栄光博物館で展示する為に陸上へ上げる必要が有りますが、その為には特殊浮きドック「アトラント」を使わなければならず、更には、この作業を行なう為には18メートルの水深が必要なのですが、その場所がクロンシュタット周辺ではヴィボルグ付近にしか無い為、一旦「レニンスキー・コムソモール」をヴィボルグまで持って行く事になりました。
ヴィボルグで特殊浮きドック「アトラント」へ載せられた後、「レニンスキー・コムソモール」はクロンシュタットへ戻ります。
なお、今回の記事に登場するクセニア・ショイグは、ロシア連邦国防相セルゲイ・ショイグの娘です。


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