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記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ陸揚げされた


『SeaNews』より
2022年9月12日配信
【原子力潜水艦「レニンスキー・コムソモール」は「モビ・ジク」埠頭へ降ろされた】

ソヴィエト初の原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」自走式車軸の助力を得て「モビ・ジク」ターミナルの沿岸へ降ろされた。
ムルマンスク州政府広報サービスは発表した。
「国内艦隊の伝説をクロンシュタットの海軍栄光博物館の建物へ輸送する為の前例の無いエンジニアリング-ロジスティックプロジェクトの海上部門は成功裏に完了しました」
広報サービスは述べた。
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ヴィボルグ湾からクロンシュタットまで輸送されるK-3は、荷船「アトラント」へ載せられた上で潜水艦の強度船体(外殻)を2つの部分に分割する操作が行なわれた。
ダイヤモンドカッターの助力によりドナー区画の切断が行なわれ、安全上の理由から長期間切断されていた原子炉区画と交換された。
これが無ければ、ターミナルで全長107メートル、重量2500トンの艦を降ろす事は技術的に不可能である。
これに加え、潜水艦を完全に市内を通過する陸路で輸送する為には、道路構造物の解体作業の規模を大幅に拡大しなければならず、事実上クロンシュタットが全て麻痺してしまう。

「モビ・ジク」ターミナル埠頭K-3の為の特別なスロープが組み立てられた。
各々が長さ50メートルを超える潜水艦の部品の下船は、このプロジェクトの為に設計された自走移動トランスポーターの助力により実行された。
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速度は約時速2.5キロメートルであった。
「アトラント」のバラストシステムの作業の為、定期的に技術的停止が行なわれた:潜水艦が展開する際、貨物のバランスを取り、係留岸壁と水面との不一致を平均化する必要が有った。

「潜水艦の両方の部品が陸上へ上がる時、アトラントの乗組員は潜水艦に別れを告げるシンボルの警笛を鳴らし、自走ローダーのオペレーターは潜水艦の両方の部分を宝石のように正確に接続しました」
広報サービスは指摘した。
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「K-3レニンスキーコムソモールを『海軍栄光博物館』の建物へ輸送する操作の海上段階は成功裏に完了しました。
関連するプロジェクトの解決策を開発し、実行した専門家の皆様へ厚く御礼申し上げます。
作業は最高水準で実行されました。
気象条件と技術的課題に関連する全ての難題は克服出来ました。
得られた経験は、今後、社会的に重要なプロジェクトの実行の際、ロシアの輸送及び物流業界のエンジニアに必要とされる事を確信します」
『フォルトフ島』
観光-レクリエーションクラスタ作成プロジェクト室長クセニア・ショイグは話した。
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K-3輸送操作の次の段階は、クロンシュタットの通りを通過する『海軍栄光博物館』の建物への陸上輸送となる。
以前、このような船が市内の道路網を通過した事は無かった。
そのルート上で、標識、照明塔、信号機、2つの暖房陸橋、800メートル以上の縁石など、70以上の道路構造物を取り外し、その後に復旧する必要が有る。
暖房炉は解体されてから復元され、特殊道路が博物館の前に建設される。



ソヴィエト連邦初の原子力潜水艦であるK-3は、プロジェクト627「キート」巡洋潜水艦(NATOコード名「ノヴェンバー」)の1番艦として、1956年9月24日にモロトフスク(現セヴェロドヴィンスク)第402造船工場(現セヴマシュ)で起工されました。
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1957年10月9日に進水した後に係留試験が始まり、翌1958年6月に終了しました。

1958年7月21日には、ソ連海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ提督、ソ連造船業相ボリス・ブトマが出席し、ソ連邦海軍旗の初掲揚式典が開催されました。
この時点で、K-3は未だ航海試験も始まっていませんでした。

1958年7月3日、工場航行試験をすっ飛ばして、いきなり国家受領試験が始まりました。
翌7月4日10時3分、初めてK-3原子力機関が始動しました。

1958年8月には潜水航行試験が行なわれました。

1958年11月26日から12月2日まで白海で潜航試験が行なわれ、深度310mまで潜航しました。

1958年12月17日、巡洋潜水艦K-3受領証書への署名が行なわれ、ソ連海軍へ納入されました。

しかし、初めての原子力潜水艦という事も有り、色々と問題点が発覚した為、1958年1月には「試験運用」へ移行しました。
プロジェクト627の2番艦以降は、改良型のプロジェクト627Aとして建造されることになりました。

翌1959年も白海で各種試験に従事し、同年10月下旬に、ようやく白海からバレンツ海北方艦隊基地ザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ移動しました。
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1959年11月1日から15日まで初の遠距離航海を行ない、グリーンランド付近まで進出しましたが、浮上時に氷に衝突して損傷しました。

帰港後、1959年12月から1960年5月までセヴェロドヴィンスク「セヴマシュ」で修理と近代化改装を行ない、新たな航法複合体が設置されました。

1960年12月から1961年2月まで「セヴマシュ」で係留試験が行なわれました。

1961年5月26日から8月7日まで航海試験が行なわれ、再びザーパドナヤ・リツァ(ザオゼルスク)へ配備されました。

1961年9月17日から31日までカラ海において、北極海での水中航行時の航法複合体の動作試験が行なわれました。
この間、9月20日から24日まで魚雷の実弾射撃を実施しています。

1962年7月4日から21日まで検査航海を行なった後、7月11日から21日まで北極圏航海を行ないました。
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水中航行中に原子炉の冷却循環ポンプが故障し、潜航したまま修理を行なっています。

1962年9月に核燃料棒の不備が発覚し、セヴェロドヴィンスクへ回航されました。

1962年10月9日、「レニンスキー・コムソモール」(レーニン共産党青年団)と命名されました。

1963年2月26日から1965年10月29日まで原子炉の交換と近代化改装が行なわれました。
撤去された核燃料棒はカラ海へ投棄されました。

1965年10月29日から11月7日まで航海試験を行ない、同年11月24日に海軍へ引き渡され、11月29日にはザーパドナヤ・リツァへ戻りました。

1965年12月17日、ソ連の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリン「レニンスキー・コムソモール」を訪れました。

1966年3月23日に白海で氷に衝突して潜望鏡を曲げました。

1966年7月10日から8月29日まで遠距離航海を行ない、大西洋、サルガッソー海、メキシコ湾まで進出し、魚雷発射訓練を行ないました。

1967年3月12日から4月30日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で船体のメンテナンスが行なわれました。
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1967年7月10日から9月11日まで遠距離航海を行ない、地中海へ進出しました。
地中海から戻る途中の9月4日、ノルウェイ海で火災事故を起こし(第1区画から出火し、第2区画に延焼)、乗員39名が死亡しました。
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1967年9月14日から11月5日までセヴェロドヴィンスクで修理が行なわれました。

1968年7月21日から29日までワルシャワ条約機構諸国海軍北方艦隊バルト艦隊の合同演習へ参加しました。

1968年12月8日からポリャールヌイ第10艦船修理工場でオーバーホールが行なわれ、1971年12月28日に復帰しました。

1972年1月にはグレミハ基地へ移動しました。
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1972年10月29日から11月5日まで演習を行ないました。

1973年5月12日から6月1日まで遠距離航海を行ない、大西洋地中海へ進出しました。

1975年2月に第7区画で火災が発生し乗員2名が重傷を負いました。

1975年4月24日から6月13日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1976年1月31日から2月21日までグレミハの浮きドックで定期修理が行なわれました。

同年6月1日から27日までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1977年7月25日、「大型潜水艦」に再分類されました。

1977年12月29日からポリャールヌイ第10艦船修理工場で定期修理が始まりました。

1978年1月8日、修理中に火災が発生しました。

1978年12月30日に修理を終えて復帰しました。

1982年5月25日から6月25日までバレンツ海、ノルウェイ海、グリーンランド海で哨戒活動を実施しました。

1985年1月から9月末までポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が行なわれました。

1985年には、「オケアン-85」、「大西洋-85」、「北方-85」といった大規模演習へ参加しました。

1985年7月2日から27日までノルウェイ海で哨戒活動を実施しました。

1986年4月からポリャールヌイ第10艦船修理工場で修理が始まりました。

しかし修理は完了する事無く、1987年10月17日には海軍の戦闘編制から除外されました(事実上の退役)。

1988年9月9日には練習船となり、グレミハ基地に固定されました。

1989年3月14日、B-3と改称されました。

1991年には北方艦隊の編制表から消されました。

1993年9月30日、正式に海軍から除籍されました。

その後も係留保管されていましたが、2002年11月にポリャールヌイ第10艦船修理工場へ到着しました。

2003年5月30日から7月3日に使用済み核燃料が撤去されました。

2005年10月28日にはスネシュノゴルスク艦船修理工場『ネルパ』へ回航され、博物館への改装が行なわれる事になりました。
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2007年以降、原子炉区画が撤去され、代わりのダミー区画が製造されました。
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2017年2月に再進水する予定でしたが、半年以上遅れ、2017年9月8日になりました。
[ソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは記念艦となる]
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールは再び進水した]


当初、「レニンスキー・コムソモール」は、ムルマンスクで保存されている原子力砕氷船「レーニン」の隣で展示される予定でした。
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しかしその後、クロンシュタット『海軍の栄光博物館』で展示される事になりました。


艦船修理工場『ネルパ』は、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットへの移動の為に準備作業を行ないました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ回航される]

2021年8月19日、浮きドックへ載せられた「レニンスキー・コムソモール」『ネルパ』埠頭を離れました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ向かう]

8月26日にクロンシュタットへの移動を開始しました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへの移動を開始した]

「レニンスキー・コムソモール」白海ベロモルスクへ行き、そこから内陸水路へ入りました。


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9月13日にスヴィリ川へ入りました。
『ロシア連邦国防省公式サイト』より
ロシア北方艦隊広報サービス発表
2021年9月13日14時0分配信
【原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」を載せた浮きドック「スヴィヤガ」はサンクトペテルブルクの『北方造船所』への曳航中にスヴィリ川へ入った】

9月21日にサンクトペテルブルク『北方造船所』へ到着しました。
『タス通信』より
2021年9月21日23時1分配信
【ソヴィエト社会主義共和国連邦初の原子力潜水艦K-3はサンクトペテルブルクへ到着した】
ここで浮きドックから出渠した後にクロンシュタットへ向かいました。
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10月1日にクロンシュタットへ到着しました。


2021年12月中旬に『クロンシュタット海洋工場』乾ドックへ入渠しました。
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2022年5月18日、乾ドックで修理作業中の「レニンスキー・コムソモール」の足場に溶接の火が引火した事による火災事故が発生しました。
『ロシア通信社ノーボスチ』より
2022年5月18日9時48分配信
【クロンシュタットでの原子力潜水艦「レニンスキー・コムソモール」の火災の原因が突き止められた】

「レニンスキー・コムソモール」の修復の為、ロシア海軍は純正部品を提供しました。
『Paluba Media』より
2022年5月26日10時46分配信
【ロシア海軍は原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」修復の為に純正の交換部品を提供する】

2022年6月22日に乾ドックを出渠しました。
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8月27日、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットからヴィボルグへ向かいました。
[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはヴィボルグへ向かった]
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「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットフォルトフ島へ建設される海軍栄光博物館で展示する為に陸上へ上げる必要が有りますが、その為には特殊荷船「アトラント」を使わなければならず、更には、この作業を行なう為には18メートルの水深が必要なのですが、その場所がクロンシュタット周辺ではヴィボルグ付近にしか無い為、一旦「レニンスキー・コムソモール」ヴィボルグまで持って行く事になりました。

ヴィボルグ特殊荷船「アトラント」へ載せられた「レニンスキー・コムソモール」は、9月5日にクロンシュタットへ戻りました。
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[記念艦となるソ連/ロシア海軍の最初の原子力潜水艦レニンスキー・コムソモールはクロンシュタットへ到着した]

9月9日にクロンシュタット岸壁へ陸揚げされました。
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今後、「レニンスキー・コムソモール」クロンシュタットの海軍栄光博物館まで陸路輸送されます。
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