ロシア海軍北方艦隊の大型原子力潜水艦コストロマの准士官が死亡した
- カテゴリ:ロシアの潜水艦

『SeverPost』より
2022年10月21日8時27分配信
【北方艦隊の原子力潜水艦の准士官の遺体は海上で発見された】
バレンツ海の原子力潜水艦で、無線技術戦闘部門の准士官が行方不明となった。
数時間の捜索後、軍人は死体で発見された。
原因は不明である。
『VCK-OGRU』の情報筋によると、前日、監視所で当直員が交代した際、彼らはロシア連邦軍の軍事部隊10438の軍人、ボリス・ドロフェーエフ准士官が居ない事を明らかにした。
ドロフェーエフは、大型原子力潜水艦B-276「コストロマ」の無線技術戦闘部門の技術者であった。
彼はカラシニコフ小銃で武装して潜水艦で勤務していたとテレグラムチャンネル『VCK-OGRU』は記している。
准士官の同僚は潜水艦全体を捜索したが、軍人は見つからなかった。
更に、ドロフェーエフは潜水艦から離れていなかったことが明らかになった。
現場へ潜水士が呼ばれた。
10月19日正午頃、バレンツ海のアラ湾海域で潜水士がドロフェーエフ准尉の遺体を発見した。
死因は調査中である。

プロジェクト945巡洋潜水艦の2番艦K-276は、ロシア内陸部のニジニ・ノヴゴロド(旧ゴーリキー)の『クラースノエ・ソルモヴォ』造船所で1984年4月21日に起工され、1986年7月26日に進水しました。
1986年8月15日から9月5日まで内陸水路経由で白海沿岸のセヴェロドヴィンスクへ回航され、同地に在る『クラースノエ・ソルモヴォ』造船所の支所で最終艤装が行なわれました。

1987年10月に白海で航行試験を行なった後、同年10月27日にソ連海軍へ納入され、1987年11月4日に海軍旗初掲揚式典を開催し、正式に就役しました。
1987年11月16日にザーパドナヤ・リツァ基地へ到着し、11月30日に北方艦隊の第1潜水艦小艦隊の第6潜水艦師団へ編入されました。


1988年8月27日から9月6日まで実施された第1潜水艦小艦隊の演習へ参加しました。
1988年9月~11月にバレンツ海で戦闘勤務に就きました。
1989年8月~11月にバレンツ海で戦闘勤務に就き、この間に何度か外国の水上艦と潜水艦を追跡しました。
1990年6月~9月にバレンツ海で戦闘勤務に就き、この間に何度か外国の水上艦と潜水艦を追跡しました。
1991年5月~7月にバレンツ海で戦闘勤務に就きした。
1991年6月20日付でアラ湾(ヴィジャエヴォ)へ移転しました。

バレンツ海で戦闘勤務中の1992年2月11日にアメリカ海軍の原子力潜水艦SSN-689「バトン・ルージュ」と衝突しました。




1992年3月28日から1993年6月29日までスネシュノゴルスクの艦船修理工場『ネルパ』で修理が行なわれました。

修理中の1992年6月3日付で「原子力大型潜水艦」に類別変更された事に伴い、B-276に改称されました。
1993年4月6日に「クラブ」と命名されました。
修理完了後、1993年秋にバレンツ海で戦闘勤務を再開しました。
1994年10月に第7潜水艦師団へ転属しました。
1994年4月~6月にバレンツ海で戦闘勤務に就きました。
1996年8月に北方艦隊の演習へ参加しました。
1996年11月15日付で「コストロマ」と改名されました。
1997年3月~4月に実施された北方艦隊の演習へ参加しました。
1998年4月に北方艦隊の演習へ参加しました。
2000年に予備役へ編入され、修理待ちとなりました。

2003年12月24日にポリャールヌイの第10艦船修理工場へ到着しました。

その後、スネシュノゴルスクの艦船修理工場『ネルパ』へ回航され、修理が開始されました。

2008年に修理を完了して艦隊へ復帰しました。

2013年以降、プロジェクト945原子力潜水艦の近代化改装の話が出てきました。

[ロシア海軍はシエラ級原潜を復帰させる]
[近代化改装後のシエラ級原潜は第4世代原潜に匹敵する]
[ロシア海軍は新たなチタン製原潜の建造を計画していないが4隻のシエラI/II級原潜は近代化される]
945の1番艦「カルプ」は、2014年5月から近代化改装が始まりましたが、その後、工事は中断しました。
[シエラI級原潜カルプの近代化改装を中止する決定は下されていない]

「コストロマ」は現在もロシア海軍に在籍していますが、最近は洋上で行動する事は殆ど無いようです。
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